2023年4月24日月曜日

地獄は他者か 書き直し 5

 他者は本来的に地獄である

サルトルが語った「地獄は他者である」はやや思弁的で分かりにくいが、私はこの言葉をもう少しシンプルに捉えたい。他者が地獄であるのは生物としての私たちにとって避けられない事実なのである。実際自然界で野生動物が他の動物に遭遇した時の反応は似たようなものだ。自分のテリトリーに侵入してきた他の種や個体を脅威と感じ、撃退したり、あるいは退避したりするという能力を備えていない限り、弱肉強食の世界を生き残ることはできないだろう。(というよりは、そのような個体が淘汰の結果現在残っているのである)。ある個体は遭遇した他の個体の目には脅威と映るであろう。その敵対的な他者イメージが私たちにとっての鏡になるとしたら、まさにサルトル的な意味で地獄は他者になるのだ。結局自然界においても、つがいとなるべき相手や血縁を除いでは、他者は恐れてしかるべきものだ。
 私達が日常生活ではあまり他者を怖がらないのは、他者は危害を加えてこないだろうとたかをくくっているからだ。親しい友人Aさんと会う時はあまり警戒はしないであろう。それは「あの温厚なAさん」という内的イメージを持っていて、それ「Aさん」と呼ばれる人に投影しているからである。ところが通勤途中に道で見知らぬ人に急に話しかけられると、私たちはそれだけで一瞬警戒モードを全開にして身構えるものである。
 人間社会においても、私たちが遭遇する他者はいつどのような形でこちらに危害を加えてこないとも限らないが、それを警戒してばかりでは社会生活を営むことは出来ない。だから私達はこの警戒モードを一時的に「オフ」にして本来はよく知らない他者とも社会の中で関りを持っているのだ。ところが私たちは時にはこのオフモードに入ることが出来なくなってしまう様な病態を知っている。例えばPTSDなどの場合には、誰と会っても警戒心を解くこと(警戒オフモードをオンにすること)が出来なくなり、家を出ることそのものが恐ろしいことになってしまう場合がある。対人恐怖症や社交不安障害ももちろんこれに該当するのだろう。先ほど例に挙げた漫画の作者である当事者さんの気持ちもそれなりに分かるではないか。