今日はあまり書けなかった・・・・
人と出会うことについて考えるときに私の頭にすぐ浮かんでくるのが、サルトルが語った「地獄とは他者だ L'enfer, c'est les autres」という言葉である。「そうか、他人は本来地獄なのだ、だからそれを恐れるのが当然なのだ」という安心感を与えてくれるのである。それをかの偉大な哲学者が保証してくれているのだ。
ちなみにサルトルは「出口なし」(1944)という戯曲の中で密室に閉じ込められた3人を描き、その一人にこの言葉「地獄とは他者だ」を言わせている。しかしそれは「他者の目を恐れる」という対人恐怖的な意味で言っているのではない。私たちは自分たちの他の人の目を通して知るしかない。そしてそれが歪曲された目であれば、他者は地獄に他ならないと言っているという。同様の文脈でサルトルは「存在と無」(1943)では次のように言っているという。「他者がそこにいるというだけで、私は一つの対象としての自分に判断を下すことになる。なぜなら私たちは他者の目には一つの対象に過ぎないからだ。」
私たちは自分を知るために鏡を用いる。それが他者である。しかしその他者は自分にとって好意的な目を向けるだろうか。多くの場合、否、である。他者はライバルでありえ、敵ですらある。その目に映る自分を頼りにするしかないのであれば、他者は私たちが決して逃れることができない地獄といえないだろうか?