MUSの歴史的な変遷
私は始めにMUSは太古の昔からあると言いました。そこでその根拠に触れたいと思います。当然ながら昔は医学は進歩していませんでした。でももちろん人の身体的苦しみは人間がこの地上に存在した時からありました。そしてそれを聞く立場にある人ももちろんいました。なぜなら人はお互いにお互いの身体的訴えをある時は人に話し、ある時はそれを他人から聞いていたわけです。なぜなら少なくとも苦痛を人(もちろんそれを話すことが安全であるような人)に聞いてもらえることで少しそれが軽減されることを経験的に知っているからです。
ここでの苦痛の訴えは、おそらく心の苦しみなにか、体の苦しみなのかに関して境界はあまり考えられなかったのではないかと思います。私達が今日はしんどいとかキツイ、具合が悪い、という時「え、それは身体が、ですか、それとも心が、ですか?」と問うことはあまりないでしょう。それにそもそも腰の痛みを訴える人は気持ちも沈んでやる気が起きない、という方向に傾くでしょうし、また気持ちが沈むときは身体を動かすのもきついものです。ともあれこれらの訴えをお互いに話しているうちに、どこかに「本当の訴え」と「本当でない訴え」が見分けられていたのではないかと思うのです。その意味を説明しましょう。
私たちが自分の苦しみとして体験するのは、身体の変調が予期不安を呼び、時には変調が実際に起きているのか、それが起きることを不安に感じているだけなのか、という区別がつきにくくなるという現象です。私は昔中学校で「疑似赤痢」が流行った時、自分が感染しているのではないかととても不安になったことがあります。そして自分の症状に注意を向けているうちに、本当に自分がお腹が痛いのか、痛いような気がするのか、痛くなったらどうしようと心配しているのか、という区別がつかなくなったことを鮮明に記憶しています。いわゆる「心気的」な状態になっていたのですが、心身相関の複雑さをよく物語っている現象だと思います。ちなみにちなみに心気症とは、自己の身体の微細な不調にこだわり、あるいは恐れ、それが重大な疾患ではないかと恐れることを意味します。
この心気的な部分は、いわばその人の想像力により水増しされた部分と表現することが出来るでしょう。そしてそれは人間である限り必然的に起きてくる部分ではないかと思います。人間である私達は高い表象能力を身に着けています。そして様々な感覚と同様、痛覚も「想像」することが出来ます。例えば歯痛を体験した人であれば、今歯が痛いと一瞬ではあれ想像することが出来ます。喉が渇いていなくても、カラカラな時を思い出してその感覚に一瞬浸ることが出来ます。そして痛みを人に訴えて理解され、不安を軽減してもらうことを望むとき、この実際の苦しみと、さらなる苦しみへの不安とはあまり区別されることなく表現されることがあります。
この両者の違いはしかし、その苦しみを聞く立場の人には当人よりは敏感に、時には過剰に感じられることがあります。なぜなら人の痛みを聞かされる側は、多かれ少なかれ負担を感じるからです。おそらく聞く側は共感疲労の可能性から、あるいはそれに対するケアをする必要性から、なるべくその苦痛が小さいことを望みます。そこで実際の痛みと想像により膨らんだ痛み(つまり心気的な部分)を差し引いて考えようとします。それを私が本当の訴えと本当でない訴えとして表現したものです。より正確に言えば、人の訴えには本当の部分と水増しした部分がしばしば一緒になり、後者の存在は訴える当人もある程度、そしてそれを聞く他者はより敏感に、ないしはより厳しく判定する傾向にあるのです。
ところでどこまでが本当で、どこまでが本当でない訴えかを知るうえで、おそらく私たちはある種のパターンを認識していたのだと思います。これはすでに述べたことですが、おそらくそのパターンを記述することが医学の始まりではなかったかと思います。
生ものを食べた後に腹痛がした場合、その訴えはよく経験されるもの、「本物」であり、それを食あたりと認識するように。あるいは炎天下を歩き続けていて倒れ、喉の渇きや頭痛、立ち眩みなどを訴えた場合に体が水分を失った状態(脱水)として認識されるように。するとそれらに当てはまらないものについては、心気的な部分が多かったり、それが殆どを占めたりするということも経験されていくことになります。この様に考えると医学の進歩と、より想像により膨らんだ部分、ヒステリー、あるいは後にMUSの一部と考えられるようになった部分とは共存していたということになります。
そしてこのMUSの存在が現在でも重要なのは、人が想像により増幅させる痛みの存在は普遍的だからなのでしょう。