2023年3月9日木曜日

自己開示再考 2

 ワクテルはこの章で、フロイトがかなりはっきりと自己開示を戒めている部分を引用している。フロイトは「告白には告白で応えるというわけで、相手から個人的な秘密の告白を求める人は誰も、自分自身からも個人的な秘密を告白する心構えをしておくべきであろう。」(フロイト(1912)「精神分析的な治療方法について医師たちに奨める事」)フムフム。フロイトもわかっているではないか。ところが次に彼は言う。「そうした方法は患者の無意識の発見には全く貢献しない。」こうしたフロイトの記載を学んだフロイディアンたちが自己開示を警戒するのはよく分かる。フロイトがここまではっきりと主張していることで、おそらく精神分析においては未来永劫、自己開示はご法度なのである。

そして多くの治療者は次のような確信を持つ。

「出来るだけ治療者の体験をその視界から排除することこそ、患者の体験を探索し明確にする最も効果的な方法である。」

 さて自己開示についてはこのグループはもう論文化していて、私達の見解は決まっているのだ。そこで今回の私の趣向はこうだ。「どのような時に自己開示はまずいのか?」この方向から行きたいのだ。なぜなら臨床場面では、治療者のことは知りたくない、話して欲しくない、という患者さんもいれば、自分のことを話したくてしょうがない治療者もたくさんいるからである。