私はいつもNHKのニュースを見ていて思うのだが、テーマごとに個人的なことをキャスター同士がお互いに尋ねるという傾向がある。ふたりないし三人のキャスターが何かの話をしてちょっと盛り上がり、それからニュースにつなぐのであるが、そこで例えばお花見の季節になると、「○○さん、お花見は行かれましたか?」とふり、ふられた側は普通の一般人としての身近な体験を話す。これが頻繁に行われることから一種の定番ないしはマニュアルさえあるのではないかと思われるが、これはおそらくNHKが持っていたお堅いイメージを払しょくするのが目的であろうと思う。そしてそこでキャスターは、あまり露悪的にならずに、しかし防衛的にもならずに適当な「自己開示」をするのである。このあたりさわりのない、聞いている人にとってもイタくない自己開示をするのはかなり難しく、スキルも必要であろうと思う。一種のソーシャルスキルだが、これが苦手な人にとっては相当苦労するようなテーマではないかとさえ思うが、最近のアナウンサーは親しみやすさを含めたパーソナリティを売りにすることで視聴率が上がるとすれば、彼らにとって必須の武器と言えるだろう。
さて分析的な精神療法では自己開示はデフォルトではご法度ということになるが、他の精神療法では得に取り立てて論じないというところがあり、興味深い。私はユング派のかなり高名な先生や、認知行動療法の先生にも聞いたことがあるが、自己開示はタブーという刷り込みがないだけに、実に自由なやり方をしているようだ。そして「私はよく自分のことを話しますよ」という先生は、それをおっかなびっくり言うというニュアンスがないということが面白い。
精神分析の世界で私が聞いた中で一番自己開示について熱く語るのを聞いたのは京都大学の杉原保史先生であるが、彼はポール・ワクテルの理論によっていることが多い。ということでワクテル著、杉原先生訳の「心理療法家の言葉の技術」(金剛出版)の第13章「治療者の自己開示-有用性と落とし穴」を少し読んでみる。
彼の基本的なスタンスは、治療者が「中立性」「匿名性」に退却することで、患者にとって不必要な苦痛の源になっているとし、Frank,Renik, Storolow & Atwood らを引用している。そうか、オーウェン・レニック先生もこの路線だからぜひ引用したいところだ。
ワクテルはこの自己開示の問題が「治療者が直面する問題の中でも最も困難なもののひとつであるということを見出してきた」とさえ述べている(p.301)