精神分析において共感についての議論は、少なくともフロイトの理論にはあまり馴染まないようである。私は1980年代に精神分析理論を学び始めた頃の非常に「素直」な時期には、おそらく「治療者は患者に共感すべきだ」という議論について聞いたとしても、「もちろんそうだろうが、それは皆が常識的に考えることだろう。でも精神分析はある種の特別な患者との言葉のやり取りを目指しているのであり、それがより大きな効果をもたらすのだから、そちらの方を追求したい」と思っただろう。
この様に当時の私にとっては、精神分析は「特別な関り」を提供するものであり、そこで起きることがあまり常識的でなく、日常的に成立している人間関係とはかけ離れているところに、その本質があるものと考えていた。何しろフロイトにより推奨されている分析的な態度とは、患者の話を黙って聞き、そこにあえて介入しないことなのである(と少なくとも私は当時そう思っていた)。それは人の話を親身に聞き、時には考えやアドバイスを伝える、という普通の聞き方からは明らかに異なる、ある種不自然な態度であるが、それが分析の本質と考えていたから、私は患者の話を聞きながらその「不自然さ」を維持した。これを通していくことにより分析的な関りが展開していくはずだ、と思いながら、しかしどこかで「患者さんはあまり反応しない私のことをどう感じているのだろう?」と思いながら、患者の話に耳を傾けていたのである。私は新人の頃、いかに沢山の患者さんをドロップさせてしまったのだろうか、と思う。私だって医師になって2,3年の、精神分析を学び始めの頃の私に心の問題について相談に行っても、そのような対応を受けたなら「何にも言ってくれないんだ‥‥」と思ってすぐに行かなくなってしまったであろう。
精神分析のトレーニングを続けながらも、受け身的でなくてはならないという縛りから解放されるにつれて、私の患者に対する態度はより自然に、あるいはまっとうになっていったと思う。そしてそれにつれて考えるようになったのが、人は治療者にいかに自分の話を聞いてわかって欲しいか、ということである。全く当たり前の話であるが、私が受け身性という考えに支配された頑なさから解放されるためにはある程度時間がかかったと言える。そして精神分析理論を学ぶについて当然耳にすることになるコフート理論に興味を持ち、しかしそれがどうしてこうも精神分析の本流から敬遠されたのかということについて真剣に考えるようになったのだ。
今でも精神分析的な精神療法の世界では、患者に対してどのようなアプローチを取るかで、しばしば議論になる点があり、それはいわば優しさによる治療か、厳しさによる治療かという論点である。これは概ね探索的(表出的)か、支持的か、という文脈で論じられるようになった。これは境界パーソナリティ障害のように、従来の精神分析のやり方ではうまく対応できない患者層に対する治療技法についての議論の中で生まれてきた概念である。この探索的か、支持的かという議論はそこに特別の優劣を決める性質のものではないが、精神分析の世界ではやはり探索的なやり方がより正統派のやり方であるという考えは今に至るまで根強いと言えるだろう。この問題については以下の書籍に詳しい。
Robert S. Wallerstein (1986), Forty-two Lives in Treatment: A Study of Psychoanalysis
and Psychotherapy. New York: The Guilford Press.
Be as expressive as you can be, and as supportive as you have to be. (Wallerstein, P688) (できうる限り表出的であれ、そして必要とされるだけ支持的であれ)(p.688)
といったものである。そしてそれを唱える分析家の心には次のような考え方があったという。
「内的な葛藤の解決を導くような、表出的な方法により得られた変化は、支持的方法「のみ」によりもたらされた変化より、より広範に及び、より永続的で、将来の環境の変遷や圧力に対して強力な耐性を持つ。」
しかしワーラーシュタインは続けて、「支持的療法による変化が、表出的療法により得られた変化に比べて永続性がないという証拠はない」とも述べている。
Gabbard はこれを受けて、Glen O. Gabbard & Drew Westen (2003) Rethinking therapeutic action, The International Journal of Psychoanalysis, 84:4, 823-841, DOI: という論文でこう述べている。
"Wallerstein (1986) found that
supportive strategies resulted in structural changes just as durable as those
brought about by interpretive approaches.(p.824)"