フラッシュバックが起きる仕組み
いわゆるトラウマ記憶が通常の記憶とどのように異なるかについての研究は1970年代以降に行われるようになった。この世界でトラウマと脳科学との関連についての研究をけん引したのがオランダ出身の精神科医ヴァンデアコークであった。私がアメリカにいた1980~1990年代に彼のグループが発信した様々な情報に私は大分触発された。ヴァンデアコークは臨床医であり、彼は様々な研究のアイデアを出して実際の臨床研究を行うと同時に当時行われていた脳科学的な研究による知見を私たち臨床に携わる人々に分かりやすい言葉でそれを伝えるという役割を担った。
彼は記憶一般に関わる脳の部位として扁桃核と海馬について論じた。記憶とはその時系列的、エピソード的な部分(いつ、どこで、何が起きたかについての情報)と情動的な部分(何を感じ、印象付けられたかについての情報)がそれぞれ異なる部位により担当される。前者は海馬が、後者は扁桃核が担う。そして強烈な情動を伴うトラウマ経験などの場合は、扁桃核が強烈に刺激される一方では海馬の働きが抑制されるという事態が生じる。その様にして形成されるのがいわゆるトラウマ記憶(恐怖記憶)である。それはエピソード的な部分を失い、情動部分のみが刻印された記憶である。トラウマ記憶は通常の形では回想されることなく、突然フラッシュバックの形で、情動部分のみが襲ってくるようになる。
ここで重要なのは記憶をつかさどる海馬の働きである。記憶の時系列的な整理を行う海馬のおかげで、何かを回想する場合にも脳が能動的にそれを思い起こすという作業が可能となる。例えば私たちが小学生の頃の夏休みについて思い出そうとしたら、海馬によっていわば個人誌の年表がめくられ、「ああ、あの時あそこでこんなことがあったなあ」という形で秩序だって想起される。ところがトラウマ記憶はある意識的ないしは無意識的なトリガーにより、いきなり昔の生々しい情景が目の前に展開されるのである。