ここから少し論を広げて、共感を、情動的共感(emotional empathy, EE)と、認知的共感の中の情動的ToM(認知的情動的共感(CEE)とに分けて論じよう。前者は相手の情動をシェアすることであり、ともに苦しみ、ともに喜ぶことを意味する。後者は相手の情動を認知することであり、痛みの重さを認知的に理解できる能力だ。治療者はこのCEEを研ぎ澄まさなくてはならないというわけだが、少し説明がいる。
EEの分かりやすい例は特に必要がないのではないか。赤ん坊が泣いているのを母親が見ておろおろし、自分の痛みのように感じる、という場合の共感だ。それに比べてCEEは少しわかりにくい。相手の情動を認知的に理解するってどういうこと?頭でわかっているだけ、ということではないか?
そうではない例は、目の前の人の痛みについて、よく知っている場合に伴う共感だ。もっと言えば、自分が体験してそれを覚えている時の共感だ。
一つの例として、私自身の体験を話そう。いまから30年位前だが、歯医者さんで親知らずを抜いた後、よくなっていくだろうと思ったら3日くらいしてから猛烈に痛くなったことがある。いくらなんでもこれはおかしいと思い歯医者さんに行くと、アメリカ人の歯科医にこともなげに「あ、dry socketドライソケットになっちゃったね。」と言われた。そして麻薬入りの強い鎮痛剤(タイラノール#3)を出された。このドライソケットとは、・・・と説明するのが少し億劫なので、ある歯医者さんのサイトから引用する。
「ドライソケットとは、親知らずなどの大きな歯を抜いた後、抜いた穴の部分の治癒不全により、穴が塞がらず骨が露出したままの状態のことをいいます。通常、歯を抜いた後は、周りの歯茎や骨の血管から血液が集まり、血餅という血の塊(かさぶた)が出来ることで、抜いた後の穴を塞ぎます。そして、徐々に抜いた部分の歯茎や骨を治していき、穴が塞がっていきます。しかしドライソケットでは、何らかの原因で血餅ができず、日にちが経っても抜歯した部分の治癒がはじまらず、骨がむき出しの状態が続きます。」(新井歯科、矯正歯科さま、ありがとうございます。https://www.adc-arai.com/blog/)
もし目の前の患者Aさんが片方のほっぺたを抑え「ドライソケットなんです。ロキソニンじゃ効かないんです。強い痛み止めを出してくれますか?」と言ったら、私は「わかるわかる、歯医者さんに行ってトラマールか何かを出してもらったら」とアドバイスをするだろう。あの時の痛みが蘇ってくるからだ。もちろん私はAさんと一緒になって苦しみ、あるいは痛みに苦しむAさんのことを考え続けて頭がいっぱいになったりはしないだろう。これは私がEEではなく、CEEを行なえたからだ。少なくとも痛みを身を持って体験し、その記憶があるから、その情動的な体験を頭で「わかる」のである。
でももし私がドライソケットの体験を持たず、したがってその様な言葉さえ聞いたこともないままでいたら、「ドライソケット?何ですか?でもいずれにせよ抜歯をしたくらいで大袈裟じゃないですか?」とAさんの痛みの表現を疑ったかもしれない。CEEが出来ない状態なのだ。(ちなみに当時私は「dry socket って日本語で何というのだろう。もしかしたらそれを言われれば聞いたことがあるかもしれない」と思いつつも、その頃グーグルもなかった時代だったから無理もない。あとになって調べたら何のことはない。日本語でも「ドライソケット」であった。)