共感について調べ直しているうちに、私が何年か前に書いていまだにネットで出てくる記事を読み直した。私は以前自分が書いたものは大したものではないとたかを括る傾向にあるが、改めて読み直すと、「その通りだ。いいこと言っているじゃん」と思う所が多い記事だった。しかし自分で考えて書いて、しばらく忘れていたことなので、アタリマエなことだ。
人からかけられた言葉にとても安心することがある。それは確かなことだ。しかし私のような援助職(精神科医、心理療法家)の場合、そのつもりでかけた言葉が逆に相手を憤慨させてしまったような体験も浮かんでくる。人にかける言葉は、その意図とは別に、相手の心に予想外の響き方をすることがあるものである。
最近心理の学生たちと読んだ漫画に『うつ病九段』(先崎学作、文藝春秋)がある。その中に印象深いシーンが描かれていた。作者はうつ病を患い、天下のKO病院に入院し、そこで教授の廻診に遭遇する。自分のベッドを訪れた大教授に作者が恐る恐る「私の病気は治るでしょうか?」と尋ねる。すると教授はそれまでの厳しい顔を崩して「もちろんですとも。ここはKO病院ですよ」とにっこり笑い、作者は理屈に合わないとは思いながらも、その言葉にすっかり安心してしまう。
私がこのエピソードを興味深く思うのは、安心感を与える言葉がけには、しばしばこのような理屈抜きの働きがあるように思うからだ。おそらくその精神科の大教授は似たような言葉を他の患者さんにもかけたことがあり、その不思議な効果に気が付いていたのかもしれない。それはベテランの臨床家の計算しつくされたり直観に導かれたりした言葉などではなく、単なる気まぐれから出たものだったかもしれない。一つ言えるのは、白衣を着ていないどこかのオジさんから同じことを言われても、まったく効果はなかったであろうということだ。そこには自信に満ちた大教授への同一化というファクターが大きな意味を持つということである。
「人から分かってもらえた」と感じる体験
私たちの多くは、他者の気持ちにうまく同一化をしつつ日常を送っている。新型コロナの感染者数がうなぎ上りになっているときに、「手洗いをしっかりしていれば、簡単には感染しませんよ」と言われると、その楽観的な人の気持ちを借り受けることでしばらく不安から逃れたり、否認できたりする。この理屈を超えた同一化のプロセスは、おそらく幼少時の愛着関係で生じる親との同一化を出発点としている。「この世は安全で、自分は生きていていいんだ」という安心感は、おそらく最初は親から借りなくてはならないのだ。
やがて社会の中で独り立ちしてからは、私たちは適宜適当な誰かに同一化しつつ、最初の親からの同一化を上書き更新していく。しかしそれがいつ、誰からの言葉で首尾よく行われるかは予想がつかない。それはある時に起きるべくして起きるとしか言いようがないのだ。
だから私は安心感を与えるような言葉のかけ方、というある種の技法のニュアンスのある考えはあまり信用していない。第一不安におののく人を目の前にして、私たちの多くは自分たちもまた途方に暮れ、どのような言葉をかけたらよいか分からない。不安な相手に同一化してしまっているからだ。そんな時に無理に口をついた言葉は、いかようにも転ぶ可能性がある。「きっと大丈夫だよ…」という言葉は「そう言ってもらえると少し気が楽になるよ」という反応を生むかもしれないが、「どうして根拠もなしにそんなことが言えるんだ!どうせ他人事なんだろう?」と撃退されてしまうかもしれないのだ。
私がもう少し信用しているのは、ある具体的な言葉がけの前提になるような、人から分かってもらえたと感じる体験である。これは確かで持続的な体験として心に残る。その際には言葉かけは特に重要ではないことすらあるのだ。
しかし問題は「分かってもらった時の言葉」は、身近な人から聞かれることはあまりないということだ。それはむしろ「他者」から来る必要がある。つまり分かってくれることをあまり予想していなかった人が分かってくれた時に、私たちは初めて「人に分かってもらえた」と思うことが多いのだ。だからいつも身近にいる母親や配偶者に「分かって」もらえても、少しも新鮮味がない。どうやら人が誰か特定の人を分かってあげる量には上限値が定められていることが多いようだ。もちろん「この人に分かってもらえたからもうこれからは大丈夫」と思えるような人は、人生の上で貴重な財産をすでに持っていることになる。
さて心理職などの援助職に携わる人たちは、私の文章をここまで読んで、「それなら私はいつも相手を分かってあげようとしていますよ」と考えるかもしれない。「それでも私の言葉は相手には響かないことばかりです」と言われそうだ。でも人間は簡単に相手を分かることなどできるのだろうか? 人は自分が仕事として、あるいは隣人として出会う以外の人には、つまり自分が親身になって相手の話を聞く立場にないと感じたときには、結構冷淡なものである。そしてその理由の一つは、相手や自分に対する警戒心なのだ。
例えばあなたが街中で外出先で財布やケータイを無くし、帰りの電車賃すらないことに気が付くとする。あいにく小銭を借りに駆け込む交番も見当たらない。あなたは途方に暮れてしまう。そんな時に思い切って見ず知らずの通行人に声をかけても、200円や300円を「貸して」くれるような人を見つけることが出来るだろうか。ほとんどの場合そのような話を持ち掛けただけで多くの人は怪訝そうな顔をして立ち去ってしまうだろう。そして私たちの大部分はこの立ち去る側に属するのだ。
分かってあげることの難しさは、私たちが隣人として、あるいは職業的にかかわっている人たちについてもある程度は言えることだ。私たちは社会や家庭の中で出会う様々な人たちの気持ちを理解し、それを示す際にも、大抵は「この人にはこの程度話を聞く」という基準や限度を設けている。それは相手に対する自分の立場、例えば担任として、指導教官として、セラピストとして、あるいは友人としての立場により微妙に異なる。どんなに相手に親身になったとしても、自分の中に想定している限度を超えることにはとても慎重になるし、時にはそう要求されることを不当なものとさえ感じるものだ。そして治療関係においては、その限度は多くの場合「(治療)構造」と考えられ、それを守ることはとても大切なものとして扱われている。
例えば治療者としてのあなたのクライエントが、週一回数千円の支払いが今週だけ出来なくなってしまったとしよう。もしあなたが一回無料のセッションを申し出たとしたら、これはある種の「掟破り」であり、治療者の側のアクティングアウトとしてほとんど肯定的な扱いは受けないだろう。しかしその一回だけ無料のセッションはそのクライエントには特別の意味を持つかもしれない。「本当にお金が払えない、それでもセッションを受けたい」という気持ちを分かってもらったと思うかもしれないからだ。
私はこのような無料セッションを推奨するつもりも批判するつもりもないが、いわゆるセラピストの「持ち出し効果」という議論との関係で興味がある。ある研究によれば、セラピストが自分のプライベートな部分、例えば時間などを犠牲にしていると感じた際に(つまりセラピストが「持ち出し」をした際に)患者はそれを敏感に感じ取り、それが治療関係の向上につながるという。通常いくら他人に対して理解ある態度を示しているつもりでも、私たちは想定範囲以上の「持ち出し」をしないものだ。(もちろん対手に個人的に興味や魅力を覚えた場合は話は全く別になる。)それを社会である程度揉まれている私たちはたいてい理解している。しかし本当の窮状に置かれて「分かってもらえた」という体験は、他者からの「持ち出し」なしには成り立たない場合が少なくないとしたら、この体験は容易には得られないことが理解されるだろう。そしてそのような時に相手からかけられる言葉は、ほんの何気ない言葉でも、あるいは厳しい叱責でも大きな意味を持つ可能性があるのだ。
人に話を聞いてもらえるとはこういうこと
私のこれまで述べた趣旨の具体例として、個人的な体験を述べてみたい。すでにどこかに書いた気がするが、本稿の文脈に従って改めて思い返すことにも意味があるだろう。私にとっては「人に話を聞いてもらえるとはこういうことだ」ということを改めて知るうえで貴重な体験だったのである。
私には米国での滞在の頃からの友達と呼べるドクターMがいるが、彼がこの体験に登場する。当時の私は米国で精神科レジデント(研修医)のトレーニングの終了を前にして、労働許可証を取得するまで滞米を少しでも延ばす必要があった。そうでないとそれから先何年もかかる精神分析のトレーニングを継続できなかったからだ。そしてそのためにはレジデントを終えた後の就職先の責任者に何らかのトレーニングプログラムを作ってもらい、研修生の身分を保つ必要があった。と言ってもそのプログラムはほとんど書類上のものでよかったのだが、雇う側としては面倒な書類を作ってまで言葉のつたない外国人の医師を雇う義理はない。結局いくつかの医療機関に話を持ち掛けてもほとんど話を聞いてもらえないという体験が続いた。
そこでこの病院が最後だという覚悟で訪れた病院の院長に私は面会を申し込んだ。その時若き院長として出てきたのがドクターMだったのである。実は私は初対面のドクターMからも、ほかの病院の院長と同様の冷たい反応を受けることを覚悟していた。ところがドクターMとの面会が開始してほんの2,3分経ったところで、「あれ?何が起きているんだろう?」と驚きを感じている自分に気が付いた。ドクターMは初対面の私の話をじっくり聞いてくれていた。そして30分後には、彼が私と相談しながらプログラムを作ってくれることを提案してくれたのだ。その際はドクターM自身も外国人留学生として苦労した体験も語られた。
少し後になって私が気が付いたのは、私がドクターMに会うまでに出会った何人かの院長や事務長や理事長には、実は話を「聞いて」もらえていなかったのだ、ということである。いや確かに彼らも私に耳を傾けてはくれていた。でも私のために一肌脱いで(これも面白い言葉だが、要するに「持ち出し」をして、ということだ)面倒なプログラムの書類を作成してくれることはなかった。そして実は私の方でもそれを彼らにあまり期待していなかったのである。彼らは当たり前の常識を備え、社会人として機能している人々だ。私生活では良きパパであり、夫でもあろう。そして彼らはほかの人々と同じように十中八九、「持ち出し」をしない。そうする道理はないのだ。だからこそドクターMとの体験は特別の印象を私に与えたのである。
幸いにもドクターMとはその後同僚となり、個人的な付き合いも始まった。精神科医であり、精神分析のトレーニング中であった彼が患者に対する姿勢から学んだことはとても大きかった。彼は確かに普通の精神科医ではなかったのである。
私はこの短い文章の中で、人の話は親身になって聞くべし、というような教訓めいたことを述べることは意図してはいない。すでに述べたが、私たちの多くは身近な人々(家族、友人、同僚など)にしばしば深く感情移入し、大きな個人的な負担を覚悟したつもりでも、その効果はすでに賞味期限切れになっていて、報われずに終わるという体験を多く持っているはずだ。そしてそれは治療者の「持ち出し」についてもいえる。それは繰り返されるうちにすぐに「してもらって当然」になってしまうかもしれない。分かってもらった時の感動には、その体験の意外性や驚きが深くかかわっているらしい、というのはそういう意味だ。そしてその意外性や驚きがいつどこから生じるかは予想がつかないことが多い。それどころかいかなる「持ち出し」にも動じないツワモノにも出会う。だから人の心を動かすために分かってあげようと試みることは本末転倒で傲慢な話だ。私たちに出来ることはせいぜい、自分たちが人から「分かってもらった」時の感動の機会を逃さないようにすることくらいかもしれない。