2023年2月2日木曜日

精神分析と複雑系 3

 ところでファクターXのことを言い出したので、一つ付け加えておきたい。私にとって誰が高いファクターXを持つかは、その人を知り、その人の治療を受けた患者さんの話しを聞いたうえで、「それなら自分もぜひ話を聞いて欲しい」と思えるような人ということであり、その意味では極めて主観的なものである。しかしファクターXが低い人を見分ける方法を自分で用いていることに気が付いた。それはある種の決めつけを常に行うような治療者である。よくカンファレンスの討論者として発表者に厳しい言葉を浴びせる人がいる。「そこでどうしてそんな質問をするのか」とか「そこで患者に謝罪をするなんてもってのほかだ」とか「そこで自分のことを話してどうするの!」などなど。しかし実際の治療者と患者のやり取りの細部で一律にその良しあしを決めることが無理であることが圧倒的に多い。治療的な関係性は常に揺らいでいるものである。言葉はそこにプカプカ浮いているのであり、見当外れだったり、気まぐれだったりすることはいくらでもある。その揺らぎの細部を指摘してそれを誤りの様にただすことに意味は薄い。それよりもその決めつけ方から一つ分かることがある。それはその討論者のコメントが発表者に「こうせねばならない」という強い圧力を体験させてしまうことである。それはまさにその討論者が治療者として患者に感じさせていることに違いないのだ。それは治療者としては半ば終わっていると見ていい。患者の自由な在り方を保証することが出来ない治療者は恐らく高いファクターXを備えてはいないことになる。

発表者の言葉の選択に対して「自分なら~言うだろう」と討論者が思うことは当然あろう。でもそれは正解として押し付けるべきことではない。しかしそれをしてしまうとしたら、それは精神分析の世界における権威をいつの間にか纏ってしまっているからだろう。これが危ないのである。