2023年1月22日日曜日

共感の脳科学 2

  共感の脳科学というテーマで書く私のモティベーションをまず明らかにしたい。まず共感という概念は今転換点にあるということだ。私達はこれまで共感は「よい」ものと漠然と思ってきた。共感は助けとなるもの、精神療法における極めて重要な要素という考え方があった。ところがそれに対して異議を唱える本もある。

共感という病 永井陽右 かんき出版 2021年より引用。

共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること で有名な霊長類行動学者フランス・ドゥ・ヴァールは、「この昏迷極まる現代社会をよくするためには共感が重要である」と論じている。霊長類でも観察できる共感や助け合いを取り戻そうとしている。

でもそうだろうか、と著者は問うのである。

ここで私自身の2つの臨床体験を示す。これらは私が共感について再考するきっかけとなった。

1.臨床例(略)

ここから一つの仮説が生まれる。「私達が共感された」と思う時、私達は本当に言って欲しいことを言われた時を意味するようなのだ。ある人(Aさん)が自分の描いた絵を見事な出来だと思うとしよう。そしてそれを見たBさんがそれを全然いいと思わないとしよう。それでもBさんが「あなたの絵は見事ですね」と言ったとしよう。Aさんはきっと自分をわかってもらえたと思うだろう。そしてBさんが自分の本当の気持ちを告げたら、AさんはBさんから全く共感が得られていないと感じる。これをどうして臨床上問題にすべきかと言えば、臨床上は治療者BAさんを分かってあげることがそれでもどうしても必要になることがあるからである。

2.最近問題にしているテーマである。患者さんはしばしば「母親に分かられたくない」と訴える。(特定の人には)共感して欲しくないということが切実な問題になったりするのである。

これらの事情を理解する上で、通り一遍の共感論は用をなさないのである。
 コフートは、共感とは相手の心をあたかも自分の心を探るようにして、身代わり内省をすることだ、とした。これはこれでいくつかの問題を抱えていると言っていい。どうして私たちは他人の心を身代わり内省できるような能力があると考えるのだろうか。もしそれが治療者の側の勘違いであるとしたら? それを共感したと治療者の側が勝手に思うとしたら、それはそれで大変問題になる。