2023年1月15日日曜日

ある書評 1

 書評を書くのは結構労力がいる。実際に何度も読んでいないと「まとめ」をかけないからだ。

 第一章著者は、「脳」と「こころ」との接点という問題は非常に悩ましいテーマであるという認識から出発する。そもそも「悩」という漢字が心と脳の合わさったものであるというのだ。そして神経細胞についての解剖学的な研究から始まったフロイトこそ、この接点に果敢にアプローチした人であったとする。また著者は精神科医としての駆け出しのころ、急性期の精神病の患者「脳の中が火事になっているに違いない」と考え、先輩にたしなめられるといった経緯を紹介しているが、実はこれがのちのミクログリアとの遭遇という出来事の伏線として描かれている。

 第2章、第3章は筆者が脳科学とは別に惹かれたもう一つの分野である精神分析について語られる。そして神経解剖学者として出発したフロイトがいかにして精神分析へと舵を切っていったかについてのさらなる解説がなされている。
 第4章においては、母子分離に伴うトラウマはある脳内基盤を持っていることが、動物実験から見いだされることを示している。後の章で展開されるミクログリアに関する議論の舞台装置として、愛着という心と脳の両側にまたがる問題について現代ではどのような研究がなされているかこの第4章で紹介されるのだ。
 第5章では精神分析を創始する前のフロイトが考えていた脳のモデルについての紹介がなされる。そして脳をコンピューターになぞらえるとしてもその他のサブシステムが必要であることその一つとしてフロイトがQないしQ’nとして表現していたものの正体が実はミクログリアではなかったのかという仮説の提起がなされている。
 第6章では筆者が精神分析と脳科学にほぼ同時期に出会い、両方にひかれていく過程が描かれている。彼は新しいタイプの抗精神病薬がミクログリアの活動を弱め、いわば脳の中の炎症の火消しの役割を果たすことを示した見事な研究の成果を上げたのだ。そうして一世紀以上前のフロイトも同様の発想を持っていたことを思い、フロイトがミクログリアのことを知っていたら、「よりダイナミックな無意識の病態モデルを創出していたのではないか?」と思わざるを得ないとする。

 第7章ではミクログリアを使用した信頼ゲーム実験について語られる。信頼ゲームでは相手とのお金の取引のやり方から、相手をどこまで信用し、どこまで疑うかということを知ることが出来る。そして被検者にミクログリアの働きを抑えるミノマイシンを投与して実験をしたところ、プラセボ群と比較して相手に提供する金額が少なかったという。このことから著者は被検者自らが意識している信頼度と実際の信頼行動の間にずれが生じているとし、そのような「無意識的なノイズ」をミクログリアは発しているのではないかという仮説を立てる。
 第8章では、第7章での発見を日本人の心性に当てはめた考察が行われている。そして著者はミクログリアが一種の超自我的な役割を果たしているのではないかと主張する。これらの考えについて筆者はしばしば「妄想」とか「妄信」という言い方をしているが、仮説としてはありうることのように思える。何よりもこのように大胆な発想を持ち、果敢にそれを実証しようとする筆者の力には感心させられる。またこの章で重要な研究成果も報告される。それはミクログリアは神経細胞に直接的に働きかけ、シナプスにおける剪定や貪食に関わっているということである。もはやグリア細胞は神経細胞の働きに補助的、間接的な役割を及ぼすとは言えなくなってきているのだ。さらにはミクログリアの活性化が幼少時のトラウマにおいても生じており、後のトラウマの再演で再び活性化が生じるという、トラウマ理論に非常に深くかかわる内容も述べられている。
 第9章では、著者はフロイトの論じたリビドーとミクログリアの関係について論じている。そして著者が直接かかわった実験で、男性は魅力的な女性と感じられる人に対しても信頼して大きな金額を提供してしまうことにミクログリアが関わっている(ミノマイシンによるミクログリアの抑制によりその傾向が抑制される)可能性についての研究成果について伝えている。そしてフロイトのリビドー論に出てくる「生ける小胞」とはミクログリアのことではないかという考えを紹介する。
 第10章の内容も、極めて奥深い。著者はミクログリアと死の本能との関連性にも注目するが、それはミクログリアの関与が、神経系の「生と死」に深く関与しているからだ。自殺者の死後脳に、ミクログリアが過剰活性化しているという所見(シュタイナー)を示したうえで、著者はミクログリアも炎症を惹起するようなサイトカインばかりではなく、脳保護的なサイトカインも産生していることを指摘する。ミクログリアは「生の欲動」にも「死の欲動」にも関連しているという筆者の考えをまさに指示していることになる。
 第11章では、今注目を集めているニューロサイコアナリシスの学会で筆者が死の欲動とミクログリアの関連に関するポスター発表を行った経緯、単球を二種類のサイトカインを投与することでミクログリア様の細胞に変化させたという著者自身の研究、躁と鬱のシフトへのミクログリアのかかわりの可能性、そしてサイコグリアアナリシスという学問領域の提唱をして終わっている。
 最終章に付録として掲載されているのが2021年の精神分析学会年次大会で行なった筆者の講演の記録である。そのテーマは精神分析におけるエヴィデンスに関するものであったが、それが精神分析を実践する臨床家たちにとって一種のコンプレッエヴィデンスっているという指摘をしたうえで、「しかしエヴィデンスってそんなにスゴいのか」という本音を漏らしている。その上で精神分析の効果についてそのエヴィデンスンスも含めて明らかにしていきたいという筆者の意気込みも表明している。
 さらには巻末に用語解説が掲載されていて、あくまでも読者に本書の内容をよりよく理解してもらうための工夫が見られる。