2023年1月11日水曜日

脳科学と象科学 2

 例えば赤ん坊を最小限の世話をするだけで生まれたままで放置しておこう。彼は喉に異物が詰まったら咳をするし、おなかが空いたら啼くだろう。便が直腸に降りてきたら気張るはずだ。どれも横隔膜を含む複雑な筋肉の緊張を必要とするが、赤ん坊はそれを最初から教わらなくても行う。それはおそらく脊髄レベルで出来上がっている回路が興奮することにより生じているとしたら、その回路自体は最初から中枢神経の中に一種の反射弓として成立している。このようなことは生命体にとっては容易なことであり、昆虫やそれ以下の下等動物でも、例えば生殖に関する行動は実に複雑な一連の反射の連鎖がプログラムされているのだ。ではこのプログラムは誰がどのような意図で組み上げたのかを考えると、そのような存在はなく、プログラム、あるいはソフトウェアが存在していても誰もそれを作った人は存在しないという事情があり、これはこれで実に進化の不思議さを物語るのであるが、実はこれは身体の反射だけでなく、心に関しても存在していることは確かだ。こうして私は「心のソフトウェアはおそらく存在しない」と宣言しながらかなりそこから撤退しつつあるわけだが、例えば「他者に拒絶されると悲しい」という、おそらくあらゆる人間が備えているはずの性質も、実はすでにプログラムされていると考えるべきであろう。だからいわゆる自我心理学的な研究が示すところの健康な自我機能や防衛機制についても、あるいはいくつもDSMICDに記載されているような精神疾患も、そのもととなるプログラムは成立している。そしてそれはかなりの部分がDNAに刻まれている。と言ってもそれはタンパク合成をつかさどる遺伝子として占めている部分を除いた97パーセントのゲノム情報の中に組み込まれている。あとはその遺伝子をどのように、どの順番で賦活させるかという順番がいわゆるジャンクDNAの中に書き込まれているということになる。ただしここでも繰り返すが、それを書きこんだ人は誰もいない。進化による結果としてそうなっているのだ。