2023年1月29日日曜日

神経ネットワーク 5

 どんなネットワークでもいいのか

「神経ネットワーク仮説」という言葉を導入したが、ではそれは何か新しい心の理解を与えてくれるのだろうか? 特にそういうわけではないだろう。それはあくまでも考え方の出発点だ。ただこの考え方が示しているのは、私達が持っている古い脳の考え方であろう。その一つはいわゆる局所論だ。脳の様々な部位が、独立した機能を営んでいて、どこかにそれを統合するような部位がある、という考え方だ。フロイトが打ち立てた局所論モデル、構造論モデルはいずれもこれらに属する。脳のどこかに、意識、無意識、あるいは自我、超自我、エスという部位があり、それぞれが独立した機能を持っているというわけである。

歴史的には骨相学を提唱したガルは、脳をさらに細分化してそれぞれを色、 音、言語、名誉、友情、芸術、哲学、盗み、殺人、謙虚、高慢などなどの機能を持った部位と考えたわけだ。しかし神経ネットワーク仮説では、これらの部位は縦横無尽に他の部位とネットワークを形成しているわけである。

また神経ネットワーク仮説はいわゆるホモンクルスモデルをも排除していることになる。つまり脳の中にその働きに采配を振るっている中心的な部位があり、いわば小人の心を想定するという考えだ。

しかしこれらのモデルを持っている学者たちが脳をいくら解剖しても、行きつく先は何も特別なものではなく、常に神経細胞とそれらを結ぶ神経線維という構造でしかないことになる。

そこでどのようなネットワークでもいいのか、ということになる。1960年代より知られるパーセプトロンの概念になじみのある方は、結局脳は巨大なパーセプトロンであり、それが神経ネットワークの本体であると考えるかもしれない。たしかにそれは有力な仮説であり、それに従って構成された巨大なネットワークがいわゆる深層学習を行い、人間の脳顔負けの、いやそれよりとてつもなく優れた機能を伴ったソフトを作り上げたのだ。しかしそれでも真相は分かっていない。あるのはいくつかの仮説である。

その中で有力なものを紹介したい。一つは情報統合理論と言われるもので、イタリアのジュリオトノーニという学者がそれを提唱している。

下の図に示すとおり、8つのノード(神経細胞を表す)の間の連絡路をいくつか考えた場合、どれが一番「情報を貯めることが出来るか」、がその意識の複雑さの決め手となるというのが彼の説だ。(図は彼の「意識はいつ生まれたのか」(p135)からの引用。