しかし改めて反省するならば、スキゾイドPDとASDと回避性PDとは類似点があるからこそ、後二者の診断をすることで前一者がより少なく診断されることになる。しかしそれぞれは本来独立した疾患概念である以上、それぞれの鑑別にも注意を要するということにもなる。そして「そもそもASDとPDを混同するなんて恥ずかしい、とんでもないと言われてしまいそうだ」などと考え、誰かがしっかり説明してくれるのだろうと思っているうちに、この点について歯切れのよい解説をしてくれる精神科医にまだ出会っていない、などと考えるうちに、このような原稿を依頼される立場に立たされてしまっているのだ。
ところでDSM‐5やICD‐11ではこのPDとDDの鑑別についてどのような立場を示しているだろうか?しかしそれらの診断基準を見てもあまり明確な回答は得られない。これらの診断基準は、両者の厳密な鑑別を求めているわけでもなく、またそれらの共存を禁じてもない。つまりこの問題は曖昧な形で扱われているのである。
DSM-5(2013)では、まずASDの記載の中に、鑑別診断としてPDは掲載されていないし、併存症にも記載されていない。「PDなんてASDとは関係ないよ」、という感じだ。しかしPDの側からはASDへの言及がある。ただし10のPDのうち、ASDとの鑑別について記載されているのは、A群の中のスキゾイドPDとスキゾタイパルPDのみだ。このうち前者については、「スキゾイドPDを持つ人ASDの軽症型と区別するのは非常に困難であろう。ただしASDの軽症型は、社会的交流及び情動的な行動や興味がより強く障害されていることで区別されるであろう」とある(日本語版p.645)。この言い方だとやはり「しっかり区別、鑑別せよ」ということか。スキゾタイパルPDについては、これを持つ子供をASDから区別することは非常に困難であり、ここにはおそらく軽症型のASDやコミュニケーション症が含まれるであろう」とある。これはスキゾイドPDについての記載よりさらに悩ましい。「含まれるであろう」とはどういうことだ!「同じもの」「区別できない」と白状しているようなものではないか。
またICD-11(2022)では長期的な精神科診断もPDのような表れ方をするとし、その例としてASD、スキゾイドPD, 複雑性PTSD 、解離性同一性症などを挙げたうえで、これらがPDと一緒に診断されることをあまり推奨していない。つまりASDとPDの診断が共存することは「薦められてはいない」のである。
その上で特徴的なのは、PDを鑑別すべき障害として挙げていて、ASDにおける社会コミュニケーションややり取りの難しさはPDのそれと「似ている resemble」としたうえで、ASDの柔軟性がなく繰り返される対人や興味のパターンがあくまでも特徴であるとするところだ。また興味深いのは社交不安障害についても鑑別すべき診断として挙げているが、社交不安はよく知った人との間では対人関係上の問題が緩和されるとして、あくまでも両者は別物であるという立場を取る。