私はそれから日本の精神科の外来や入院病棟で数年ほど研修を積み、精神科医として少しだけ自信をつけてアメリカに渡ったわけだが、少なくともこの数年間、私は脳科学に関心を持つということはなかった。そのまま日本にいたらどうなっていたかを時々想像するが、特に脳に魅かれることはなく、あまり変わらない臨床の日々を送っていた可能性がある。少なくとも最初の頃の私の関心は脳科学とは別のところにあった。それは精神分析だったのだ。
精神分析はひとことで言うならば、脳を介さずに治療者の心が患者の心に迫る手法である。患者の人生や日常生活を送る心を対象とするのだ。そしてこれは実は「赤レンガ」の風潮と特に矛盾はしなかった。反精神医学はその源流の一端をフロイト理論に求めることが出来る。すでに名前の出たレインやガタリ、ドゥルーズといった人々は精神分析を学び、その後独自の立場を切り開いていったのだ。彼らの本にはフロイトはしばしば顔を出し、フロイトを引用したりしている。人の脳を知るのではなく心そのものを知るという発想は精神分析も反精神医学も共通していたのである。
精神分析も反精神医学も、薬を使って精神の病を扱うという、「脳科学的」なアプローチにはどちらかと言えば反対であった。精神科で薬を使うようになったのは1960年代以降だったが、精神分析家たちはそれに反対していたことはよく知られる。「薬で手っ取り早く心の悩みを治す、というのは邪道だ」という姿勢が彼らの間にはあったのだ。フランスからフェリックス・ガタリが「赤レンガ」訪れたことがあったそうだが、その時「君たちはまだ薬なんかを使っているのか」と言ったと言われる。そんな感じだったのだ。