2022年11月25日金曜日

脳科学と心理療法 1

 これから100回くらいのユルーいブログ連載になる。

私には脳科学はうさん臭かった

 「脳科学と心理療法」などというタイトルを付けると、まず「脳科学」というところで読者の一部からは絶対アレルギー反応を起こす人が出てくるだろう。40年前の私もそうであった。

医師になりたての私が研修を行った大学病院の精神科病棟(いわゆる「赤レンガ病棟」)では、何と「反精神医学」の風潮が生きていた。この言葉はもう死語に属しているかもしれない。イギリスのレインとかクーパーの名前を、あるいはフランスのガタリやドゥルーズの名前をお聞きになった方は多いかもしれないが、彼らの議論の流れの中にあるものとお考えいただきたい。これらはいわゆる新左翼系の動きに属し、精神医学や精神医療がもたらす人権問題や非倫理的な処遇に異議を唱えていた。そのような流れが「反精神医学」と呼ばれていたのである。そして「赤レンガ」はその様な運動のリーダー的な役割を担っている精神科医たちにより構成されていたのだ。私は医師になってからの1年を過ごしたわけである。そしてそこでは「生物学的」(もちろん「脳科学的」も含まれる)と形容されるような研究は患者を実験台とするものであり、患者の疎外に繋がるものとして敬遠されたのである。

いわゆる「初期値効果」(デフォルト効果)というものがある。人は最初の選択肢をそのまま受け入れるという傾向だ。そして私の赤レンガ病棟における「初期値」は「反精神医学的な精神科」であった。私が医師になった1980年代は、まだ学園紛争の名残があちこちに残っていた。医師は研究や実験にうつつを抜かさず、むしろ精神医療の持つ旧態依然としたさまざまな問題を追及すべく社会活動に携わるべきだという雰囲気である。それはそれで私もそれこそアレルギーを起こしそうになったのは確かだ。病棟の隅の倉庫にスローガンを書き込んだ立て看などを見ると違和感はあった。しかし「患者さんに対して人間的な扱いをしましょう」というスローガンはすんなり入った。私は患者さんたちとのレクに参加し、集団ミーティングに顔を出し、ケースカンファレンスでも特に患者さんの診断について厳密に論じることはなかった。診断は患者さんにラベリングをすることであり、その苦しみを理解することにはあまり関係ないという雰囲気があった。私は初めてのカンファレンスで患者さんのケースを出した時に、やはり診断名も大事だと思う一方では、やはり気が引けてしまい、見えないような小さい字でDSMによる診断名を書いて出したのを覚えている。(ちなみに当時はワープロもなく、肉筆の原稿をコピーして配る、というのが通常だった。)そうしたのは私の反発心であり、どこかに学問としての精神医学を本格的に学びたい、研究も少しはやってみたいという気持ちはあったのである。

そう、私は結局「赤レンガ」に染まりながらも、次の疑問を持っていたことになる。「生物学的」な理解はその人の人間性を否定することになるのだろうか? そもそも薬物療法を行うということは脳の中の何かに働きかけているのではないか?もちろん赤レンガ病棟でも薬物療法は行われていた。さもなければ精神科は医療経済的にも生き残れないのだ。そしてきちんと薬物療法が出来るためには、自分はやはり脳の勉強をしなくてはならないのではないか。

結局私が「赤レンガ」の風潮で一番好きだったのは、私が抱えていた問題とも絡んでいた。そこでは精神医学の教科書を読むことを特に薦められなかったのだ。