治療における情動の持つ多面性
精神分析の流れの中では、精神分析プロセスをより効率よく進め、転移、ないしは情動の生起を促すという立場が見られた。ここではサンドール・フェレンチと、フランツ・アレキサンダーを例にとろう。
フェレンチはフロイトの第一の弟子であり、実験精神の旺盛な彼は、フロイトの手法をより迅速に行う方法を考案した。彼のいわゆる「積極療法」は患者に対する禁欲をより強く促すことを目指したものであったが、その後に彼が考案した弛緩療法はむしろ患者の願望を満たし、より退行を生むことを目的としたものであった。これはいわば患者の情緒を出来るだけ高めるという試みであったが、様々な問題をはらむものであった。フェレンチの人生そのものがはらむ様々な事情が背景にあり、最終的にフロイトとの決別へと至ったが、このフェレンチの試みから私たちが学ぶことは大きい。それがフェレンチの弟子のマイケル・バリントにより「治療における退行」という著書によりまとめられた。それによればフェレンチは患者の願望をとことん満たすことで患者の陽性転移を積極的に生んだものの、それは多くの場合に悪性の退行を招き、その一部は悲惨な結果を生んだとのことである。これはいわばフェレンチにおける一つの大きな実験とされ、そこで患者の情緒、そしておそらくは治療者の側の情緒を解き放った結果として起きる事態についての冷静な観察結果と言える。古くはブロイアーがアンナ・Oに対して行い、後にはサリバンが統合失調症の患者に行ったような「情熱的な」治療はそれなりに問題を伴っていた。フェレンチ自身もエリザベス・サバーンとの相互分析を通じて疲弊し、それがサバーンの症状の悪化だけでなく、彼自身の悪性貧血による消耗を悪化させたといえる。
もう一つの試みはフランツ・アレキサンダーによるものだった。アレキサンダーは.フロイトの直系の弟子のハンス・ザックスに教育分析を受けたのちにアメリカ合衆国に移り、シカゴ大学で精神分析理論を自分流に推し進めた。特に精神分析療法の中にそれまで無視されがちであった『温かな共感性・支持性』を強調したのである。アレキサンダーのこの理論は一種のトラウマ理論と言える。患者が過去の親子関係の中で形成した『不適応な感情表現パターン』は治療を通して修正されるべきであるとした。個々の部分、うまくまとめてあるネットの文章から引用。(Keyword Project+Psychology:心理学事典のブログより)
彼は患者の分析家との体験が、親との体験と異なっていることが患者に変化をもたらす決定的な要素であるとし、それが患者が自分の非適応的なパターンに気が付くことができるともした。そしてそれを積極的に引き出すことが精神分析治療をより短期に、迅速に進めるために必要であると考えたのである。彼が出す「ああ無常」のジャン・バルジャンの例はわかりやすいかもしれない。ある教会で燭台を盗んだジャン・バルジャンは、警察の調べに対して司祭が「それは自分が彼にあげたのだ」と答えた。彼が最初は司祭に対して厳しく懲罰的なイメージ(いわば転移)を持っていたとすれば、司祭はそれとは全く異なる対応をしたことになる。これがアレキサンダーの言う「修正感情体験」であり、そこでは情緒的な体験が最も有効と考えられよう。ただしアレキサンダーは患者に対して叱るという対応もここに含めている。治療者との間のある種の情緒的な体験が患者が変化をする際の決め手となると考えたのだ。