2022年11月10日木曜日

感情と精神療法 書き直し 7

 治療者に出来る努力 ― 転移を活性化すること

  これまでの議論で述べたのは、来談者が治療者に興味を持ち、そこで出会いが生じることには多分に偶発性が絡んでいるということである。しかしそれでは治療者は来談者が偶発的に治療者に興味を持ち、陽性の転移を起こすことを手をこまねいて待っているしかすべがないのであろうか。フロイトはそこに治療状況で治療者が匿名的で受け身的である必要性について考えた。しかしそれだけでは不十分であるだけでなく、逆効果にも働く可能性があるということをここで改めて指摘しておきたい。
  そもそも人が他者に興味を持ち、その考えを知りたくなったり、会話をしたくなったりするのはどのような場合なのだろうか? そこには様々なきっかけがあるだろう。その人の書いたり言ったりしたことを知り、共感を覚えるという場合もあるし、その人の話に大きな興味をそそられ、もう少しその考えを知りたいということもあるだろう。自分がこれまでに関わった友人や恋人について考えよう。私たちは数多くの人々の中かから自分に一番合った人としてそれらの人々を選んだのであろうか? 恐らくそうではないであろう。私達はたまたま話す機会を得たり、その人の話を聞いたりしてその人を知ることで、もう少し深くその人を知りたいという興味がわいたはずである。
 例えばあなたが大学であるゼミを受講したものの、さほど大きな関心を持たなかったとする。ところがある日そのゼミ担当の先生に「これを読んで御覧なさい」と何気なく彼の著書を渡されたとする。仕方なく読んでいるうちに、その先生の研究分野には予想もしなかった深みがあり、またその先生に人間味を感じ、そのゼミにも興味を持つようになるかもしれない。この例ではあなたがある人をより深く知ることで、それまでは潜在的にしか興味を持っていなかったその人への興味が生まれたことになる。
 このことを治療関係について考えよう。来談者が治療者にそのような意味での深い興味を持つとしたら、これは理想的な転移関係を意味するといえるであろう。そしてこのような機会は、治療場面において治療者の考えを知ることを深めて起きる可能性があるとしたらどうだろう? 治療者が匿名性に守られることは少なくともそのような機会をより少なくしてしまうことにならないだろうか? 
 もちろんこのことは治療者が自分の考えをとうとうと述べて治療時間がそれで終わってしまっていいということではない。治療者が自分の考えや生き方を来談者に示すとしたら、それが来談者のためになると判断した場合に限らなくてはならない。さもないと治療場面は治療者の自己愛の満足のための機会ということになってしまう。
 私が言いたいのは、治療者についてより深く知ることが、患者の「治療の妨げにならない陽性転移」を深めるとした場合、それは治療者と来談者の間の治療的なダイアローグで生じるべきことであるということだが、そのもっともよい機会は何か。それがメンタライゼーションであるというのが私の考えだ。
 感情と精神療法というテーマで書いたこの論考は、「治療には感情の要素が伴わなくてはならない」というシンプルな結論には行きつかなかった。しかし回りくどい言い方にはなったが、患者が治療者に向けた感情は治療の進展に決定的な要因となり得ることについて、そして本来は偶発的なその様な要素に対して治療者がどの様な姿勢で臨むべきかについて書くことになった。もっと論じたいところであるが、紙数の関係でここまでにしたい。