2022年11月18日金曜日

感情と精神療法 やり直し 推敲 5

 治療者に出来る努力 ― 転移を活性化すること

  これまでの議論で述べたのは、来談者が治療者に興味を持ち、そこでインパクトのある出会いが生じることには多分に偶発性が絡んでいるということである。しかしそれでは治療者は偶発性に期待して手をこまねいて待つだけでいいのだろうか?フロイトはそこに治療者の匿名性や受け身性を強調した。しかしそれだけでは不十分であるばかりか逆効果にも働く可能性についてはすでに述べた。
 そもそも人が他者に興味を持ち、その考えを知りかかわりを持ちたくなるのはどのような場合なのだろうか? それはその人の人間性や考えに触れることだ。私は大学時代のクラスメートU君を思い出す。彼は分厚い眼鏡をかけて小柄で目立たず、いつも静かに仲間の話を聞くだけだった。私には「地味な奴」くらいにしか映らなかった。しかしある他愛のない政治談議になり、意見を求められたときにさっそうと自分の考えを述べて、その姿に強くひかれた。それまで何も特徴のなかったU君は私の中で突然大きな存在となった。彼の何気ない言動や仕草が意味や輝きをもって感じられるようになったのである。
 このことを治療関係について考えよう。来談者が治療者にそのような意味での深い興味を持つとしたら、これは理想的な転移関係を意味するといえるであろう。そしてこのような機会は、治療場面において治療者の世界を知ることで生じやすいとするならば、治療者の匿名性や受け身性はそれに反することになるだろう。
 しかしこのことは、治療者が自分の世界を滔々と患者に示せばいいということではない。私が言いたいのは、治療者の世界をより深く知ることで、患者の側の「治療の妨げにならない陽性転移」を深めるとした場合、それは治療者と来談者の間の治療的なダイアローグにより生じるべきことであるということだ。そしてそのもっともよい機会はメンタライゼーションであるというのが私の考えだ。もちろん治療者が来談者の話に真剣に耳を傾け、共感を示してくれることもその陽性の転移を高めるであろうことは言うまでもない。
 感情と精神療法というテーマで書いたこの論考は、「治療には感情の要素が伴わなくてはならない」というシンプルな結論には行きつかなかった。しかし回りくどい言い方にはなったが、来談者が治療者に向けた感情は治療の進展に決定的な要因となり得ることについて、そして本来は偶発的なその様な要素に対して治療者がどの様な姿勢で臨むべきかについて書くことになった。もっと論じたいところであるが、紙数の関係でここまでにしたい。