2022年10月24日月曜日

感情と精神療法 7

昨日書いた件についてもう少し言葉を加えたい。

人が他者に興味を持ち、その考えを知りたくなったり、会話をしたくなるような場合を考えよう。そこには様々なきっかけがあるだろう。その人の書いたり行ったりしたことを知り、共感を覚えるという場合もあるし、その人の話に大きな興味をそそられ、もう少しその考えを知りたいということもあるだろう。あるいはその人の考えや行動に感動し、もう少し深くその人を知りたいと思うこともある。場合によってはその人の言動に違和感を覚え、会って意見を戦わせたいと思うこともあるかもしれない。

いずれにせよその人との言語的な交流により自分が変わるという予感を持つのだ。そしてそれはその人の考えや行動を知るということによって生まれるとすれば、その人をより深く知るということが大きな前提となる。

このことを治療関係について考えよう。来談者が治療者にそのような意味での深い興味を持つとしたら、これは理想的な転移関係を意味するといえるであろう。そしてこのような機会は、治療場面において治療者の考えを知ることを深めて起きる可能性があるとしたらどうだろう? 治療者が匿名性に守られることは少なくともそのような機会をより少なくしてしまうことにならないだろうか? 

もちろんこのことは治療者が自分の考えをとうとうと述べて治療時間がそれで終わってしまっていいということではない。治療者が自分の考えや生き方を来談者に示すとしたら、それが来談者のためになると判断した場合に限らなくてはならない。さもないと治療場面は治療者の自己愛の満足のための機会ということになってしまう。

私が言いたいのは、治療者についてより深く知ることが、患者の「治療の妨げにならない陽性転移」を深めるとした場合、それは治療者と来談者の間の治療的なダイアローグで生じるべきことであるということだが、そのもっともよい機会は何か。それがメンタライゼーションであるというのが私の考えだ。