治療において必須となる転移感情
比喩を用いればわかりやすいかも知れない。職場でのさして興味のない仕事に追われるという場合を思い浮かべよう。その人の上司が変わり、その人のもとで仕事をすることになる。その上司は自分にとっての理想の人に思え、やがてその人と話すことで勇気や希望が生まれるようになる。その上司に認められる自分、振り返ってもらえるような自分であろうと思うようになる。仕事はその上司のために行うという意味合いが生まれ、会社に使われ興味のない仕事を続けるという気持ちが薄れ、毎日の業務にやりがいを覚えるようになる。行動や身だしなみを整えるようになる。その人からの一言、例えば「あなたの○○なところは素敵ですね。」などと言われると、天にも昇る気持ちになり、その○○な部分をさらに伸ばして、もっとその人に評価してもらいたいと思う。
このような出会いは様々な文脈で起きることもあり、相手は理想的な異性であったり、部活動の先輩であったりするかもしれない。そしてそのような人とのかかわりが常に理想的な結果を生むとも限らない。それは一時的なものであり、やがてその人に対する失望が待っているかもしれない。しかし注目すべきなのは、関わっている相手に対する理想化や一種の「ほれ込み」がその人の行動や人生における姿勢に極めて大きな変化を及ぼすということである。成長につながるとは限らない。その相手が想像とは実際はかけ離れている場合には、けっこうややこしいことが起きてしまいかねない。しかしここで注目すべきことは、人が誰かを好ましく思い、その相手の幸せや不幸に自分のそれを同期化させるような対象が、その人の普段は変わることのない思考、行動パターンに変化をもたらすための重要な機会を与えるということである。
ただしここで問題なのは、治療関係においてそのような理想化やほれ込みがどの程度の頻度で生じ、それをどの程度治療者の側がコントロールできるかなのである。すでにふれたように、フロイトはそれが「転移」現象として、分析的な治療関係に入れば、当然のごとく生じると考えた。しかしそこには実際には様々な要素が考えらえ、その一つは出会いにおける偶発性なのだ。