転移感情は自然発生的なものだろうか?
フロイトの話から本稿のテーマに移っていこう。治療において感情はどのような意味や役割を持っているのか。フロイトはこの件について明白な見解を持っていたようである。患者は精神分析的な枠組みの中では治療者にある種の要請の感情、すなわち転移感情を有する。しかもこれは印象だが、患者は全員、デフォルトで持っているかのような書き方である。もちろん治療を求める際には、治療者への理想化はあるかもしれない。でもフロイトはそれをあたかも恋愛感情のような形で患者の中にすでにあると思っているところがある。そもそも患者は治療者に関心を持っていないことだってあるのではないか、と尋ねたくなる。しかしフロイトはこう言いそうである。「もちろん意識化されていないこともあるでしょう。それを抑圧や抵抗と呼ぶのです。」そうして付け加えるだろう。「治療者が自分の姿を現さず、患者の愛の希求を満たさないことでその感情は高まっていくのです。」
フロイトは私たちが想像する以上に自己愛的で、彼のもとを訪れる患者は皆彼を理想化し、その助けを求めている(たとえ無意識であっても)と信じていたのかもしれない。その極端さは差し引かなくてはならないとしても、これはある大切なメッセージを込めている。それは治療の原動力はある種の患者が治療者に魅かれる事である。ここで「惹かれること」という表現をしたのは、そこには好感や愛着などの要請の感情を持つこと以外にも、興味をそそられること、その世界を取り入れたいと思う事など、いわば好奇心と呼ぶべきものについても含むからだ。
ただしこう述べたうえで、患者と治療者の情緒的な交流がそのまま治療の進展につながるとは限らないことを先に述べておきたい。ある種の情緒的な交流が治療の進展や行き詰まりを生むことは確かなことである。
現在のSNSの社会では、利用者が特定の医師や治療者に対するかなり率直なコメントを残し、それを不特定多数の利用者が目にすることが出来る。様々なバイアスはあるものの、多くの患者が治療者からの尊大な、あるいは上から目線の態度に憤慨し、傷ついているということである。時には同じ治療者がある利用者からは感謝の気持ちを表現され、別の患者からは傷つけられたという体験を有しているということである。もちろん患者から医師への気持ちが信頼や経緯などの陽性なものであれば治療は促進されることになる。しかし逆の場合はトラウマ的な関りにもなり得る。情動を伴う治療関係は、このようにハイリスク、ハイリターンなのだ。
この件に関して「加速的な変化」AEDP を提唱しているダイアナ・フォーシャが、ダーバンルーの情緒に満ちたセッションから学ぶと同時に感じたことが書かれている部分が興味深い(フォーシャ「人をはぐくむ愛着と感情の力」福村出版)。
一つ言えるのは、治療の促進につながる患者からの情緒的な関り、ないしは「治療的な陽性転移」は、促されない、ある種の自然発生的な形で生じた場合にこそ意味があるのであろう。それはしかし治療者の側からの誘いかけが不必要であるとは限らない。それが有効な場合もあるから複雑である。