精神医学教室年報 「同窓よりの寄稿」
一文を頼まれたので、古い時代の話を書くことになる。このような機会にこの文章を書くように頼まれたとしたら、私には他に書くことが思い浮かばないからだ。一つの使命のようにも感じる。
私には●大精神科についての深い思い入れがある。私の精神科医としての出発点にそれはあった。今の時代一昔前の話に興味を持たない先生方が多いだろうが、私が卒業した1982年の春に精神科の研修を望んだ卒業生たちは、一つの現実に直面した。大学病院本院の精神科が二つに分かれている・・・・。それもいびつな別れ方だ。喧嘩をしているのである。外来、病棟(赤レンガ)、そしてもう一つは分院精神科という進路もあったが、ここでは話をシンプルにするために、分院のことは言及しないことにしよう。
外来と病棟は本来一つの精神科がともに持つべきものだが、両者は長い間政治的な対立から口もきかない様な状態であり、医学部を卒業した私たちは、本院での研修を望む限り、二つのいずれかを選ばなくてはならなかった。外来とはその名の通り、大学病院の地下にある外来部門、病棟はそこから100メートルほどの距離にある建物にある精神科病棟。もとは精神科の先生方を両者を行き来していた。当たり前の話である。ところが外来と病棟はそれぞれが政治色の濃い医師の集団により運営され、両者は激しい対立を続けていた。もちろんこれは1960年代からの学生運動の名残である。精神科を志すがこれらの政治色に染まったところでの研修を敬遠する卒業生は大学病院の分院での研修を望んだ。