2022年9月25日日曜日

同窓からの寄稿 2

 私は政治のことなどまるで知らず、両者の対立の根の深さなど知る由もない。卒後研修を行う医学生にはそのような対立のために病棟での治療、外来での治療のどちらかしか経験できないのはおかしい、そうする権利があるという至極もっともな理屈でこれに対処しようとした。つまりは二年間の研修のうち一年ごとに外来と病棟での研修を行うことを表明したのである。両者の根強い対立、そこに無知で未経験の研修医が飛び込み、それぞれで研修を行うということ自体がおよそ不可能なことだったということは今になってわかるのであるが、その当時はそのことが分からなかった。若さや無知とは恐ろしいものである。

当時の病棟を運営していたのは森山公夫先生、吉田哲雄先生を筆頭に、富田三樹生先生、佐藤順恒先生、といった方々であり、他方外来は本多裕先生、斉藤陽一先生、栗田広先生、丹羽真一先生といった先生方の顔が浮かぶ。