2022年9月17日土曜日

不安 推敲の推敲 3

  さてD不安を引き起こすファクターとして何が考えられるのだろうか。一つはT不安の大きさである。それが恐怖体験であるほど、その準備には時間と心的労力が必要となる。T不安が大きいほど、D不安が訪れる頻度も増えるであろう。それは心がT不安への心の準備が出来るようになるまでは続くのである。そしてその仕組みそれ自身は適応的と言える。心は常に驚きを嫌う(Friston????)からである。
 ではこのメカニズムが変調をきたし、D不安が執拗に、しかも軽減することなく生じる場合があるのはなぜだろうか?それは例えばパニック発作やトラウマ記憶のフラッシュバックのような場合である。これはいずれも扁桃体の恐れ反応が生じている場合であり、パニックに関しては青斑核による過活動が扁桃体を刺激し、不安と共に様々な自律神経症状を生み出す。またトラウマ記憶においては、仮説的にではあるが、トラウマ的な状況を「憶えて」いて(Stahl, p.372)、それが扁桃核を介して恐怖反応を引き起こす。そしてどのようなトラウマ記憶が消去extinction されて、どの記憶が想起の際により強化(再固定化)されていくかについての研究も進められている。後者によっては治療中にトラウマ記憶を呼び起こす際に特殊な薬物(Psilocybin, MDMAなど)の注入により再固定化を阻止するという試みもなされている(Stahl,p.376)。

過剰なD不安はまた、CSTCループの過活動も関与している可能性がある。強迫観念はそのような機序として近年理解されている。

不安装置の変調としてもう一つ述べておかなくてはならないのが解離の機制である。恐怖体験は時にはT不安以外の反応を引き起こす可能性がある。それが最近注目されているトラウマの解離反応であり、PTSDの「解離タイプ」という存在である。

 この様に不安という私たちになじみの体験は、私達生体が破局的な体験を心身ともに生き残るための極めて基本的かつ必須のものであることが分かる。私達の生が意識的、無意識的レベルで常に予測し、準備するという仕組みは脳科学的なレベルで巧妙に作り上げられていると言っていい。そこでの日常的で軽度の不安(D不安)は生そのものと切り離せないほど日常的で、それは疎ましいものではあっても私たちの心身を防衛する役割を果たしてくれるのだ。そしてこれは一世紀前にフロイトが至った理解でもある。

ただしその仕組みは変調をきたし、それがパニック、フラッシュバック、全般性不安等の形で体験される。そしてそのメカニズムや薬理学的な治療手段が日夜研究されている。しかし日々の不安とどのように向き合い、それをいかに私たちの人生にとって有意義な形で対応していくかは、私たち一人一人の課題であり、また精神療法家が寄り添い、援助するような課題でもあるのだ。