2022年9月30日金曜日

同窓からの寄稿 5

 さて最初に病棟、外来の順で一年間ずつ研修を行わして欲しいという私の要望を病棟も外来も受け入れてくれた。しかし恐らく私の本気度は伝わらなかったらしい。実は私の二年先輩の柴山雅俊先生、先日亡くなった関直彦先生も両方での研修を希望したのであったが、様々な経緯からそれが叶わなかったという事情があった。そこで私も場合も結局は最初の研修場所(赤レンガ病棟)に留まることになるであろうと先生方は思ったらしい。私は約束通り一年づつの研修を実行したわけであるが、そのために両方の陣営の先生方にいろいろなご迷惑をおかけすることとなった。しかし私の側からは(自ら選んだとはいえ)一研修医にとっては過酷な体験となった。
 最初の一年の病棟での研修は全く問題がなかった。私は恐らく赤レンガ病棟にすっかりなじんだのである。当時の病棟を運営していたのは森山公夫先生、吉田哲雄先生を筆頭に、富田三樹生先生、佐藤順恒先生、といった方々であり、私は人間学的な患者へのアプローチを学んだ。しかし二年目の外来での研修を開始した当初から、「病棟からの回し者」的な存在となってしまったのである。「病棟の先生方と関係していて、外来での情報を流しているのではないか?」とも疑われた。実際私は一年目からアルバイト先にしていた北区の富士病院での勤務を二年目以降も継続していたが、そこでは病棟関係の先生と週に二日は顔を合わせていたので、そう思われてもやむを得なかった。富士病院の医局で外来で受けている研修について話すことで、私は事実上悪い意味での「パイプ役」になってしまっていたのも確かである。その結果として外来での先生方の私の扱い方は、まるで腫れ物に触る感じであり、露骨に嫌な顔をされることも多かった。(ちなみに私が一年目に外来を選び、二年目から病棟に行くことになったら、ちょうど逆のことが起きていてもおかしくなかった。だから当時の外来の先生方を責めるつもりはない。)その中で私は二年目の教室での研修で私をよそ者扱いせずに真剣にレクチャーをして教え導いてくださった先生方のことはよく覚えている。栗田広先生、斎藤陽一先生、中安信夫先生。そして研修で一緒になった原田誠一先生には特に感謝を申し上げたい。
 ということであっという間に紙数が尽きたので、この位にしたい。