2022年9月8日木曜日

不安の精神病理学 推敲 19

 考察、結論

私がフロイトの不安理論は精神病理学的には一定の高みに立っていたという事情は理解していただけるだろうか。フロイトは不安を考えるにあたって、トラウマ状況と危険状況の二つの状況を提示した。人間はある種の極限的な恐怖体験を持ち、その後はそれを心の中で準備するという性質を持つ。ここで不安は前者によるもの(T不安)と後者によるもの(D不安)の二つに分かれることになる。T不安は強烈な恐怖の体験と言い換えたほうがいいであろう。D不安はそれに比べてより緩徐で、私達が不安と呼んでいる感情に近い。そしてここで時間のファクターが大きな意味を持つ。T不安はそれに心が対処しきれない状態であり、いわば時間に追われる状態である。それに比べてD不安はそれを前もって予期し、準備する性質を有する不安である。

フロイトはそこで不安の対象が未知なものか否かという区別をした。前者は何を対象にしているかわからない、恐怖の真っただ中にある。対象というのはその状況そのものなのだが、それを客観視できていない。何に向かっているのかわからずに翻弄される。後者はそれを対象化し、それを予期するという余裕を持つ。このD不安は、いわば信号の様なものである。「しっかり危険状況の準備をせよ」という信号だ。それにより危険に十分に対処できることになる。ただしそれを完全に把握し、その準備も万端であるなら、それは恐らく不安を呼び起こさない。未知な要素、今度は以前のように自分はそれを対処できるのだろうか、何かの原因で今度はダメではないか、という意味での未知な部分も含まれる。その意味ではD不安は、必ずF不安を部分的に有する。すると不安は反応としての部分と、信号としての部分を併せ持つことになるだろう。このフォームレーションは不安の在り方を実に見事に示しているように思われる。

さて現在の脳科学的で神経ネットワークを中心とした理解の仕方は、結局このフロイトが至った結論を裏打ちしているといえる。T不安は扁桃体―皮質のループの賦活化であり、後者はCSTCループの活動、ないし過活動である。このありかたは実は人間の心の在り方を全体としてとらえる自由エネルギー理論に合致している。人の心は(ある意味では)常に未来のシミュレーションであり、予測値と実測値の合致を目指しているのだ。Friston はこれをその合致が快楽であるという表現をするが、これは実はそれが一番不安を軽減するからだと言い換えるべきであろう。ただし付け加えるならば、私たちのやっていることは、この一致だけではない。一致しないことによる刺激をも求めているところが人間の心の面白いところだ。不安理論は純粋な快というよりは、不快の(未来における可能な限りの)回避による安堵の部分のみを扱っているということもできるかもしれない。