さてフロイトの「制止・症状・不安」(1926)(ISA論文)の中でも不安理論のエッセンスが詰まっているのが、最終章(第11章)であり、特にB「不安についての補足的な言葉」の部分である。この論文でフロイトは次のように述べている。
1 現実的不安は、すでに知っている外的な危険に対するものであり、神経症的不安は知られざる危険unknown danger に対するものである(ISA p.100)。それは本能的な危険(本能的な要求 instinctual demand p103での表現)から来るものである。
このうち現実的な不安はフロイトが例えば暗闇に置かれた幼児の不安反応などを見て考えたことである。(実際には「性欲論3篇」の注釈)自分を保護してくれるし、場合によっては欲動緊張を低下させてくれる母親がいなくなってしまうのではないかと考えることは極めて大きな不安を呼び起こすのだ。そしてもう一つの神経症的な不安というのは、フロイトが最初から考えていた鬱積不安の名残と捉えることが出来る。フロイトは情動回路について知らなかったので、快や苦痛の由来としてこの仮説を信じるしかなかった。この本能の高まり、例えば渇きや空腹や排せつ欲求などを考えれば当たり前のことかもしれない。たしかにこのモデルは快、不快をイメージ的にとらえ、その由来を説明する上では一定の役割を果たす。しかし快や不快の問題ははるかに複雑で哲学者がhard problem と呼ぶ問題に属し、脳科学的にいくつかの性質が解明されつつある程度である。その本質は不可知なのである。