2022年8月3日水曜日

不安の精神病理学再考 推敲 2

 「制止、症状、不安」で至った不安理論の高み

1926年の「制止、症状、不安Inhibition, Symptoms and Anxiety」(以下、ISA論文)でFreudはそれまでの不安に関する自身の説を大幅に変えることになる。そしてリビドーが不安に変換されるというリビドー的な理論を放棄している(Quinodoz,2004)そして「ここでは不安が抑圧を作り出すのであり、私がかつて考えたように抑圧が不安を作り出すのではない。」(岩波19p108109)と明確に述べるに至っている。しかしそれでも鬱積したリビドーが不安症状を生む、という主張についても少しだけ触れている。そして「この考えは間違えだったわけではない」的な消極的な書き方、一種の負け惜しみをしている。

このISA論文でフロイトが述べていることは、現代の私達には概ね常識的なことだ。つまり将来危険な、ないしはトラウマ的な状況に陥るという予感に伴う感情が不安である、というものだ。
 では
そこでの危険、ないしはトラウマ状況とはどのようなことであるのか、ということについては、結局喪失や分離の危険がそれに該当するとしている。これはそれまでの去勢不安を中心とした神経症理論からは少し方向転換をしているようにも見える。それはフロイトが外的な危険、すなわち対象の喪失の問題を、内的欲動からくる危険に優先させて考えるようになったこととに関連している。フロイトの説明では、母親に対して幼児が性的な欲求の高まりを感じて、それが危険につながるとしたら、それは結局父親から去勢の脅しを受けて、母親に密着することを禁止されることだ、だから結局は外的な危険につながっているのだ、とするのがISA論文だ。
 ちなみにこの危険、ないしはトラウマ状況は死への恐怖ではない、というのがフロイトの特徴的な考え方だ。というのもフロイトによれば、無意識は、死を想像し得ないからであるという理屈だ。
不安は現実的な不安(外部から迫ってくる危険によるもの)と神経症的な不安(衝動の要求からくるもの)に分けられること、不安はリビドーが抑圧されて変換されたものではなく、不安が抑圧を生むのだ、ということを述べた。それともう一つ、不安の型を1)対象を失う恐れ、つまり分離不安2)愛を失う不安 3)去勢不安、4)道徳的不安―超自我不安に分けた。