DSMにおけるパーソナリティ障害
1980年に発表されたDSM-III におけるPDの診断基準は、現代におけるPD概念の基礎ともいえるものであったが、そこに至る過程についても概観しておこう。
1952年のDSM (当初は“I”という番号さえ付けられていなかった)では,PDは独立の項目とされ、「パーソナリティバターン障害 (personality pattern disturbance)」として5つ (不適性 Inaedquate, 統合失調症質 schizoid, 循環気質 cyclothymic, 妄想性 paranoid、その他)、「バーソナリティ傾向障害 (personality trait Disturbance)」として4つ (情緒不安定性 emotionally unstable, 受動攻撃性 passive aggressive, 強迫性 compulsive, その他)「社会病質的パーソナリティ症 sociopathic personality disturbance)」として4つ (反社会性反応 antisocial reaction, 非社会性反応 dissocial reaction, 性的逸脱 sexual deviation, アルコール症 alcoholism, 薬物依存 drug addiction) が挙げられた。
それらは自我親和的であり、病識をともなわず、外在化されたものとみなされた。またここに物質関連障害や「性的逸脱」が含まれることからも、概念としては恣意的で未分化であった。
DSM-ll は,ICD-8(1968)の発刊が契機となりDSM (1) に加えて反社会性、爆発性、ヒステリー性、無力性、が新たに付け加えられた(井上、加藤、2014, p153)。これは Schneider の精神病質パーソナリティの類型 と Kretschmer の気質・病質類型に由来するものをいわば合体させたものであった。
1978年のICD-9 Clinical Modification (ICD-9-CM) は,やはり多くの類型が集められ2年後のDSM-Ⅲの発刊の先駆けとなった。(特にDSM-IIIに正式に採用されることになる境界性自己愛性.統合失調型パーソナリティ症といった類型が追加され、 ヒステリーの語の演技性 histrionic) への呼び変えが行われていることが注目される(林, 2020a)
DSM-Ⅲ (1980) におけるPDでは1970年代からのBPDやNPDについての議論を反映して10のPDが提出され、現代的なPD論の先駆けとなった。そこには、精神分析の影響と共に生物社会―学習理論的な見地に立ったMillon(1969)の作成した臨床多軸目録の影響が色濃くみられる。この10の類型は、2013年発表のDSM-5(第Ⅱ部)に至るまで、30年以上にわたりほぼこのまま引き継がれることになった。DSM-Ⅲで画期的だったのは、多軸診断の導入である。第2軸に導入されたPD及び精神遅滞は、早期の発症と持続性の病態を特徴とした(井上、加藤 2014,p.153)。しかしPDが第2軸に移ったことで、それが第一軸に比べて軽傷であると誤解されたり、一軸の診断と多数併存するという問題が生じた。
DSM-ll は,ICD-8(1968)の発刊が契機となりDSM (1) に加えて反社会性、爆発性、ヒステリー性、無力性、が新たに付け加えられた(井上、加藤、2014, p153)。これは Schneider の精神病質パーソナリティの類型 と Kretschmer の気質・病質類型に由来するものをいわば合体させたものであった。
1978年のICD-9 Clinical Modification (ICD-9-CM) は,やはり多くの類型が集められ2年後のDSM-Ⅲの発刊の先駆けとなった。(特にDSM-IIIに正式に採用されることになる境界性自己愛性.統合失調型パーソナリティ症といった類型が追加され、 ヒステリーの語の演技性 histrionic) への呼び変えが行われていることが注目される(林, 2020a)
DSM-Ⅲ (1980) におけるPDでは1970年代からのBPDやNPDについての議論を反映して10のPDが提出され、現代的なPD論の先駆けとなった。そこには、精神分析の影響と共に生物社会―学習理論的な見地に立ったMillon(1969)の作成した臨床多軸目録の影響が色濃くみられる。この10の類型は、2013年発表のDSM-5(第Ⅱ部)に至るまで、30年以上にわたりほぼこのまま引き継がれることになった。DSM-Ⅲで画期的だったのは、多軸診断の導入である。第2軸に導入されたPD及び精神遅滞は、早期の発症と持続性の病態を特徴とした(井上、加藤 2014,p.153)。しかしPDが第2軸に移ったことで、それが第一軸に比べて軽傷であると誤解されたり、一軸の診断と多数併存するという問題が生じた。