2022年8月12日金曜日

不安の精神病理学 再考 8

 ただしこの図式で一つ気になる点がある。それはCSTCループは情動部分を含んでいないであろうからだ。「皮質(頭で考える)→ 線条体、視床→皮質(頭で考える)」というのは結局考えがグルグル回っているということだ。つまりここは不安の苦痛部分を説明していない。しかし不安という明らかに苦痛を覚える現象は情緒に関する脳のどこかの部位を刺激しているはずなのだ。とするとそれはやはりこの時も扁桃核→報酬系を「やんわりと」刺激しているということになるのではないだろうか?つまり不安という体験においては結局は恐怖の前触れforetaste of fear を体験しているのではないか。

私は小学6年のころ何度も扁桃腺が腫れて、除去手術をすることになった。そして夏休みに扁桃腺の片方(右?左?)の除去の手術を行った。麻酔もほとんどなく、とても苦しかったのを覚えている。最初はどんな手術か全くわからなかったから、とても不安だった。しかしその手術を一度経験すると、半年後の二回目(左?右?)の前はさらに不安になった。一週間前から「ああいやだ、いやだ」というのを一日何十回と繰り返して言っていたのを覚えている。一回目で苦しさは十分わかったのだが、それが予想以上に苦しかったので、二回目はさらに不安になった。確かにこの体験は二つに分かれる。予期不安の部分、そして実際に手術室で喉の奥に鉗子を入れられ、メスで扁桃腺を切り取られるプロセス、つまり恐怖の真っただ中の体験は違う。でも連続性がある。手術の最中の私の脈拍は100くらいだったかもしれない。私の通常の脈を66としよう。手術のことを思い浮かべて「ああいやだ」と言っているときは、おそらく私の脈拍は7276(実に適当な数字である)くらいに上がっていたはずだ。ホラ、この時も扁桃核→青斑核の経路はしっかり(でも緩やかに)興奮しているではないか。

実はこの「先取り」の問題は結局は脳科学的にも心理学的にも解決していないのかもしれない。例えば熱い砂漠をヘトヘトになりながら歩いている。喉の渇きが著しい。体が干からびそうだ。その時近くにお茶やポカリの詰まった自動販売機が見えた(ありえない設定である…)。現代の脳科学が教えているのは、この瞬間に報酬系がすでに興奮しているということだ。まだ実際には水を飲んでいないのに。(もう少しいうと、水を飲んだ時に、それが予測していた気持ちよさと全く同じものであったら、報酬系はそれ以上興奮しないというのである。)これなど全く説明がつかない。報酬の先取りはすでに報酬系を刺激して快感を生み、実際に水を飲んでいるときは快感ではない????

ちなみに私の頭の中では次のような仮説を設けて説明している。前者は報酬系をパルス的に興奮させ(タブレットなどで、ボタンのチョイ押しを何度かするという感じ)、後者はトニックに興奮させる(ボタンの超長押しをする)という違いではないかと思うのだが、この種の研究は見たことがない。

喪と、喪の先取りとの関係もこれに似ている。ワンちゃんが死ぬ前に心の準備をある程度は済ませる。喪の先取りだ。ワンちゃんはまだ息を引き取っていないが、すでに喪の作業をするという関係。同じように恐怖体験が偏桃体を長押し興奮させるとしたら、不安は偏桃体をチョイ押し興奮させるのではないか。あるいはリンゴを思い描くという表象体験が視覚野をチョイ押しするのに対して実際のリンゴの視覚体験は視覚野の長押しになるという対比に似ているのかもしれない。