2022年8月23日火曜日

不安の精神病理学 推敲 13

フロイトに関する記述を少し書き換えた。

  この当時特にフロイトが印象付けられたのが、カタルシス効果ないしは除反応の臨床的表れであった。病者が昔の外傷的な記憶を想起するとともに、ある種のせき止められた感情が一挙に放出、浄化され、それが治癒につながるという現象である。ある種の量的な何かが滞ったり発散されたりするというプロセスが不安や症状に深く関連しているとフロイトは考えたのである。彼の中では快と不快を連動させて一元的に説明する傾向があり、そのためにリビドー論が使われたというニュアンスがある。精神の緊張が不快、その開放が快という図式はあまりにもフロイトの頭の中では確固たるものとして出来上がっていたため、フロイトの不安の図式がある意味で常識的なものとなるのは、その後の業績においてということになる。その後のフロイトの不安理論はより現実的で、関係論的、トラウマ論的なものに変わっていった。

フロイトがその不安理論をより洗練したものに変えていったのが1920年代であるが、ちょうどその過渡期にあたる記述がある。フロイトは「性欲論のための3篇」(1905年、岩波6 p289)に1920年に付けた注で、不安についてこのようなことを言っている。
 ある3歳の少年が暗闇で叔母さんに話しかける。暗闇が怖いので返事をして欲しいという。そして叔母さんの声を聞いた子供は安心する。叔母さんが「部屋は暗いままなのにどうして安心するの?」と尋ねると男の子は「叔母さんの声を聞くと明るくなる」と言ったという。フロイトはこのようにして不安は愛する対象の不在によるものだとする。これは至極まっとうな理論のように思える。ここでフロイトはこの例が、不安がリビドーから生じることの例証だとしているが、むしろ母親という対象を失うことへの反応としての不安というある意味ではごく常識的な考えに繋がるような例となっているのは興味深い。フロイトが「性欲論三篇」(1905)にこの注を付けたのは1920年だが、すでにフロイトはこの不安学説に矛盾を感じていたのだろう。