2022年7月18日月曜日

DIDに関する意見書を書くとしたら…・

 こんな感じになりそう。

従来は日本の法廷では、被告が解離性障害、特に解離性同一性障害(従来の「多重人格障害」、以下「DID」と表記する)を有しているという事そのものが受け入れられないという事情が続いた。DIDは存在するとしてもまれであり、被告はそれに罹患しているということで罪を逃れようとしているのではないか、という先入観があったからであろうと思われる(岡野、2022)。しかしDIDの臨床上の表れが多様であり、またそれを診断するだけの臨床経験を有する精神科医が増えてきたこともあり、次第に被告が実際にDIDを有する場合にその事実が受け入れられるようになって来ている。
 DIDという精神疾患に関しての一つの先入観は、DIDを有することがすなわち責任能力がないということを意味する、という考え方であるが、それは誤解である。実際はDIDを有する人の犯した違法行為については、その責任能力を考える上で個別の事例についての議論が必要であり、その意味では通常の人の犯した罪と変わらない。

まずこの基本的な認識から出発することで、最初から被告がDIDを有する可能性について全面的に否定し、それが虚偽の訴えで合ったり詐病であったりするという極端な立場を取ることへの抑制となり得るであろう。

法廷においてDIDが関わったケースを扱う際の心構え

ここでDIDという精神疾患がこれまでたどってきた歴史について簡単に述べたい。DIDという状態は極めて古くから報告されてきた。しかしいつの時代にも、そして現在においても、その存在を精神医学の専門家でさえ疑うという傾向が見られた。現在世界的な診断基準とされるICD-11(世界保健機構)やDSM-5(米国精神医学協会)においてもDIDは一つの精神疾患として明確に掲載されている。それでもその存在を受け入れられないという立場が精神科医にもみられるという事情は、何といってもDIDの示す症状が常識では考えられないものだからである。一人の人間の中に別の心が宿り、それが独立した行動を起こすということは、通常に人間には想像すらできない状態である。もしそのようなことを言う人がいたら、ウソをついたり演技をしたりするものと考えてしまう。ましてやその人が法に触れる行為をしたとなれば、虚言や演技を疑われる可能性はさらに高くなる。しかし被告が犯したとされる犯罪行為を子細に追い、その被告の精神医学的なヒストリーを調べることでそのような誤謬を排することが出来る。(以下略)