2022年7月17日日曜日

不安の精神病理学 再考 6

  ある患者は無限を考えていくと突然何かに吸い込まれるような恐怖に代わったという。皆さんにこんなことを尋ねてみようか。宇宙の膨張収縮説というのがある。これをビッグバン仮説ならぬビッグバウンス説というらしいが、要するに宇宙の終わりはなく、それは膨張を続ける宇宙がいずれは収縮にて転じてやがて一点に集まり、そこからまたビッグバンが始まるということを永遠に続けているというのだ。いったいこの膨張と収縮の一サイクルは何年かかって生じるのだろうか。片道だけで1400億年とかの数字も見られる。ともかくもこの理論で言えば宇宙の寿命は永遠だし、この宇宙だって第何サイクル目なのか見当もつかない・・・・。さてこんなことを考えて胸はざわつかないか? 
 永遠ということを考え出した時に、私たちの思考はある種の渦巻きの中に吸い込まれる気がする。私達は一日先を想像することが出来るし、10年先もまあ出来る。でも100年先となると色々な想像をしたうえで何とか出来るかもしれない。その頃はことごとくAIに代わって、人間の寿命も延びて、というよりは永遠になって、地球温暖化で気温は何十度も上がって、というよりはそのために人類は生きていけなくなり、温暖化は自然と止まり・・・・という風にしてなんとか想像の糸を切らさないようにする。ところがでは1000年先、一万年先、となるともう頭はついて行かない。でもついて行こうとした時、奈落の底に墜落するような感覚を覚えないだろうか。人間は永遠を体験したことはないのに、というかそれは不可能なのに、それをあたかも可能な事のように私たちの創造力が働き、そして混乱に陥る…。(もちろん大抵はその直前に施行にストップをかけるわけだが。
  私が何を言いたいかというと、不安は人間の思考にとって必然だということである。不安が未来のカタストロフィーを予期することへの反応だとしたら、それはいつ何時、どのようなきっかけで私たちを襲ってきてもおかしくないのである。