更に現代的な考えでは、自分の逆転移を克服するという考え自体が誤謬をはらんでいるのだと言われる。これはもう少し広げて言えば、それが靴のつまみ問題と言われるものだ。自分が自分の無意識部分を知るというのはそもそも不可能なことではないだろうか、という本質的な問いがあるのだ。
この問題はそもそも自己分析の問題につながる。フロイトは自分の夢を無意識からの知らせだと考えた。それを解明することで無意識を知ることが出来ると考えた。それは無意識が私たちの主観とは異なる客観性を、ないしは外部性を担っていると考えたわけだ。たとえば私たちは血液検査をして肝臓の値が高いことで、肝臓の異常を知ることが出来る。それと同じようなものだ。私達は心理テストの投影法を用いるとき、なんとなくそのようなことを考えているかもしれない。しかし現代の私たちの多くは、実際無意識はそれほどの客観性を持っていないことを知っている。例えば空を飛んだ夢を見ても、それが表す可能性のあるものはいくらでもあり、非常に恣意的なものということになる。この様な原理的な問題に加えて、もう少し実質的な問題がある。それは自分に関することで否認したり見ないようにしていることを探し当てましょうという試み自体が失敗する運命にあるわけです。これ以上は見たくない、という意識できるぎりぎりのところで私達は自分自身にストップをかけるからです。だから一番認めたくないことは見ていない。このことをミッチェルと言う人が実にうまい言い方をしたのです。それは人間の持っている「靴のつまみ問題 bootstrap
operation」なのだ、と。私達は自分たちの体を持ち上げることが出来ない。靴のつまみを引っ張っても全身が浮くことがない、というわけです。これをドネルスターンと言う人は、目は自分の目を見ることが出来るか、という形で同じような問題提起を行っている。ただしスターンの図式では一人では見えないけれど、治療者と患者の間で生じたなにかはその証になると考えました。それがエナクトメントだったわけです。