2022年6月28日火曜日

治療者の脆弱性 推敲 2

フロイトと逆転移

この間フロイトは逆転移について4回しか触れていないと書いたが、実際はもっと触れている可能性がある。ともかくもまとめると以下の通りだ。
 1910年、フロイトは初めて逆転移に言及した(精神分析療法の今後の可能性、著作集9巻)。それは基本的には治療にとって妨げになるものであり、どんな分析家も自分のコンプレックスや内的抵抗の許すところを超えて進むことはできないという有名な言葉を残した。
 1912年、「分析医に対する分析治療上の注意」(著作集9巻)で、「治療者は不透明であるべきで、逆転移はその邪魔になる。」と言った。 
1912年(転移の力動性について 著作集9巻)「治療者は自身が教育分析を受けなくてはならない。」と言った。
1937年「終わりある分析と終わりなき分析」の中で、分析家は「5年に一度」教育分析を受けて逆転移を克服すべし、と書いている。そしてフロイトはフェレンチへの手紙で、自分自身の逆転移について触れている。これも興味深い。
Ferenczi にあてた1910年の手紙。
 「(シシリーへの旅行の間)どうしてもっと心を開いてくれなかったのですか?」というフェレンチの手紙に対して、

「それは私の弱さでした。私はあなたが想像しているような精神分析的なスーパーマンではありませんし、自分自身の逆転移を克服してもいません。だからあなたをその様に扱わなかったし、私の3人の息子についても同様です。あなたもお気づきの通り、私はもう自分のパーソナリティを暴露するような必要性を感じません。そしてあなたもお気づきのように、それは私の[フリースとの間の]トラウマに起因しているのです。… 私の同性愛的な備給の一部は撤去されたのです。」