2022年6月20日月曜日

精神科医にとっての精神分析 推敲 1

精神科医にとって精神分析が意味するもの

 精神科医にとっての精神分析というテーマでお話します。ここにいらっしゃる先生方は精神分析についての一般的な知識はお持ちだと思いますが、おそらく精神科医としての日常の業務や、これまで学ばれた精神医学と比べて、精神分析はかなり違う世界の話だとお考えかもしれません。しかし私が40年前に精神科医になった時はきわめて無知でしたので、両者がかなり異なるということがピンときませんでした。というよりは精神科というのは心を扱う世界であり、当然精神分析が試みるような人の心の理解や分析をするものと思っていたのに、精神科医の主たる仕事は薬を出すことだと知って、とても意外で、また失望したことを覚えています。それと同時に薬物療法や生物学的な研究というものに対して非常に強いアレルギーを感じていたことも覚えています。ともかく精神分析にまい進しようと思っていたのですが、当時から精神科医の間では、精神分析の世界に入るのはかなりマイノリティだという感覚がありました。しかし私は漠然と、やがては精神分析と精神医学はどこかで連結可能なのだろうと思っていました。

 ただこうして精神科医としての人生を40年も送ってきた現在では、次のような考えを持っています。精神分析とは、精神医学の一つの領域を深化させたところにあるというよりは、別々の学問ないしは治療手段であり、自分は二足の草鞋を履いてきたということです。ただそのことを後悔しているというわけではありません。それなりに面白かったと考えています。そしてこの精神医学と精神分析は、いずれはどこかで統合可能であろうという考えを捨ててはいません。そのことが今日のお話にもある程度反映されるのではないかと思います。

その様なことを考えている精神分析家の一人に米国のグレン・ギャバード先生がいます。私が抄録の中で引用している彼の文章があります。彼は精神力動的精神医学の定義として次のように書いています。

「無意識的葛藤や精神内界の構造の欠損と歪曲、対象関係を含み、これらの要素を神経科学の現代の知見と統合する」(精神力動的精神医学、2014