2022年6月12日日曜日

治療者の脆弱性 1

  このテーマに関しては、私が優れた治療者として思い浮かべる人たちを考えることにしよう。私は治療者の持つ特徴として重要なのは十分に敏感であること、そしてレジリエントであるということだと考える。治療者が自分の心の中に起きていることと患者の心の中に起きているであろうこと、あるいは患者が時には暗黙の裡に、または微妙な形で送ってきているシグナルに敏感でないならば、治療者として十分に機能できるかは疑わしいであろう。もちろん受け取った信号にどのように反応するか、あるいはしないかはもう一つの重要な点であろうが。しかしここにもう一つの重要な条件があり、それがレジリエンスである。つまりストレスに反応しつつ、自分自身が安定していること、一時的に大きく揺れてもたちなおれることである。もし敏感な心がそれゆえに大きく揺れて、崩れてしまっては治療者はその役目を果たすことはできない。たとえて言うならば繊細だがしなやかな木の枝のようなものである。それはしなるが容易に折れることはない。
 さてしなやかな心と脆弱性とがどのように関係するのだろうか? それはこのように「しなるが容易に折れることのない枝」は、理想の姿ではあってもおそらく現実には存在しないからである。あらゆる心は、それが耐えることのできる隙間を有する。それを超えるような体験に対して私たちはひどく脆弱であるし、また将来の到来を思わせる予感や暗示的な出来事にも敏感に反応する必要が生じる。そうすることで体験を安全な範囲に保っているということがある。
 こんなことを書いているうちに私は第4回目のコロナのワクチンを受けた。翌日起きた私は体調が思わしくないことに気が付き不安に感じた。その不安は、今日一日の仕事をちゃんとやれるであろうかということから来ていた。このところこのテーマについて考えていたからかもしれないが、私は十分に脆弱だと感じた。先ほど敏感さということに触れたがこれはほぼ脆弱性と結びついていると考えていいだろう。もちろん繊細さと脆弱性とは別のものだ。例えば映画を見ていて登場人物が表現する感情のかすかな寂しさを感じ取ることは繊細さと関係しているが、それは脆弱性に繋がらない。ところが目の前で対面している相手の寂しさ、悲しさを感じ取るとしたら、それに対して治療者は情緒的に大きく巻き込まれる involve ことにある。そこにはそのクライエントに対してどのような情緒的なリスポンスをなすかについても含まれる。ある意味では治療者はそこに待ったなしのかかわりを持つことになるのだ。