精神科医にとっての精神分析と言えば、もう全く違う世界の話だと思うかもしれない。私も40年前に精神科医になった時同様の気持ちを持った。最初は精神分析はこれからいったい何年生き残るのかとも思った。自分はかなりマイノリティの世界に踏み込むという覚悟を持ったのだ。ただそれから40年たって精神分析はすたれていないだけでなく、多くの臨床家の心をひきつけているように思う。私も分析家であるからその気持ちはよくわかる。私が思うに正統派の精神分析にとっては治療構造は極めて重要である。そしてそこでフロイトが考え出した治療原則を守ることもとても重要である。その際分析における治療者患者関係はある種の独特の営みの世界に入る。その世界における心の理解を追求するのが精神分析の世界である。さて私はもう一つの仮説を提出したい。それは精神分析は基本的に通常の人間交流と変わらないという立場である。そのような立場に立てばあらゆる精神分析の図式を相対化することになり、かなり厄介な話になる。しかし私はある意味での精神分析の脱構築をすることで、より多くの精神科医を精神分析の世界に引き込みたいという気持ちがある。そこでそのような文脈でお話を聞いてほしい。そこで私の用いるキーワードは多元性 pluralism であり、脳科学 neuroscience である。