2022年6月3日金曜日

他者性の問題 115 差別の問題、かなり補足した

 「障害」の概念とその表記の仕方

この問題について検討する前に、そもそも障害や疾患とは何をさすのかについて少し論じよう。最近ではわが国では「精神疾患」の代わりに「精神障害」の表現が用いられるようになったようであるが、その一つの理由は欧米の診断基準である DSM ICD が標準的に用いている “disorder”(通常は「 障害」と訳される)という呼び方に対応するためのものだったと考えられる。しかし「精神障害 」の「害」の字は明らかにマイナスイメージが付きまとうということから、最近では代わりに「障碍」ないしは「障がい」という表記をすることが多くなってきた。(ただし「碍」という文字の語源を調べると、これにも同様にマイナスな意味が含まれるようであり、果たして「障碍」への置き換えには意味があるのかという疑問も生じる。) 
 そして最近はこの disorder がさらに「症」と訳されるようになって来ている。といってもさすがに「精神障害」が「精神症」に代わったという話は聞かない。インターネットの検索エンジンで「精神症」と入力しても、何もヒットしないから間違いのないことであろう(20224月の段階の話であり、今後どうなるかはわからないが)。だからこれはあくまでも個別の「障害」に関してであるが、それにより「強迫性障害」には「強迫症」が、「~パーソナリティ障害」には「~パーソナリティ症」という表現が新たに提案されたのである。そしてこの流れは 2013年に発行された DSM-5 の日本語訳「DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引」(日本精神神経学会、2014) から見られるようになった。
 この事情については内閣府に設置された作業チーム(連絡会)により以下に説明されている。

連絡会は、(中略)児童青年期の疾患では、病名に「障害」が付くことは、児童や親に大きな衝撃を与えるため」「障害」を「症」に変えることが提案され、また同様の理由から不安症及びその一部の関連疾患についても」同様の措置が取られたという経緯が記されている(以上同書、  p.9)

この決定は私にも若干の「衝撃」を与えたが、そこで特に困惑させられたのは、「解離性同一症」という日本語表現であった。これはDSM-5 (2013) における dissociative identity disorder (解離性同一性障害)の日本語訳として提案されたものである。いちおう解離性同一性障害という従来の表記の仕方も並列して提示されていた。しかし「解離性同一症」の「同一症」はさすがに何を意味しているのかが不明で、日本語としても不自然である。そこで研究仲間の野間俊一先生と話し、少なくとも「解離性同一症」くらいにはすべきだと合意した。
 更に同様の措置は2018年に公表されたICD-11WHO)についても取られた。それによれば日本語の「障害」は不可逆的な意味で用いられる disability の意味でより広く理解されるため、可逆的なものもあることを表すため、そして「『~障害』と診断されることは、当事者にとっても負担感が大きいとの懸念がある」としてある(第22回社会保障審議会統計分科会、疾病、障害及び死因分類専門委員会資料R元年226日より)。

ここでDSM-5においてもICD-11 においても、「~障害」と呼ばれることのスティグマ性、差別性が懸念されていることは注目すべきであろう。そしてそのような意図もわからないでもない。ただしその様な目的で「~障害」という呼び方が廃止されるとしたら、今度は「~障害」と従来通り呼ばれ続けるものの「差別性」が逆に問われるようになってしまうという懸念もある。これはある意味では「~障害」に対する差別性を逆説的にではあるが促進することになるのではないかという懸念がある。

幸いなことにICD-11 においては DID の日本語訳の表現は「解離性同一性症」となっている。
 ただこの○○病→○○障害 →○○障碍 →○○ 障がい →○○症という変更は一つの重要な点を示唆している。それは精神の病気と正常との間には、私たちが思っているほど明確な分かれ目はない場合が多いということだ。一方に健康な人がいて、他方に障害を持った病者という図式を当てはめることで、前者から後者への差別意識が生じる可能性があるのである。少なくとも神経症圏の精神障害は、それが軽ければ性格や習慣の一部、深刻になったら病気(障害)という考え方がおおむね当てはまると言っていいだろう。
 私が経験した米国での精神医学のトレーニングは、言葉の定義や意味を患者さんたちに伝えることに役立ったが、それは次のような患者さんからの質問への対応にも有用であった。それは「これって病気ですか?」という質問である。私はほとんど躊躇なく次のような答え方をすることを学んでいた。「あなたの持っているその傾向が、仕事や生活に支障をきたす問題を起こすくらいに深刻であるならば、それは病気と呼ばれるのが一般的です。もしそうでなかったらむしろ、あなたの持っている特徴の一つや性格の一部と言えるでしょう。」こう答えることで私は患者さんから打ち込まれた質問のボールを、患者さんの側に打ち返した気持ちになる。自分のある傾向が仕事や社会生活にどの程度問題となっているかを判断するのは患者さん自身であろう。そこでこう答えることで私たちが「診断」を下すという責任の一部は、患者さん自身にゆだねることが出来るからだ。