フロイトがこの点を楽観的に考えていたのはよく分かる。それは彼は分析の効果は薄れるから5年に一度の再分析を受けるべきであると言っている(Freud, 1937 サンドラーp79)。逆に言えば、5年に一度分析を受けていればいいのか、ということにもなるし、では自分は受けていないフロイトはどうなのか、ということにもなる。逆転移の理解は不可能なのではないか?という極めて本質的な議論はあまり見られないが、ドネル・スターン Donnel Stern の論文は参考になる。彼は
Stern, D. (2004). The
Eye Sees Itself: Dissociation, Enactment, and the Achievement of Conflict. Contemporary
Psychoanalysis, 40:197-237.
という論文で、逆転移を知ることは、「目が自分自身を見る」ということに等しいという趣旨のことを書いている。彼はそもそも例のボストン変化グループがやろうとしているのもそのことだという。彼らは複雑系理論を用いて説明する、と言うのだがここの部分はよく分からないまま読み進めると、スターンはこういう。「そもそもどのように逆転移の気付きcountertransference awareness を概念化できるのだろうか。」と言う。まさしく私の言いたいところだ。しかしこのことはほとんど話題に上らないのであるという。そしてレベンソンの「わかることの誤謬Fallacy of Understanding 」(1972)とはそのようなことを主張した本であるという。そもそも自分を分かることはbootstrapping の試みであるというとミッチェルも言っているというのだ。