治療者と患者の間で行われるメンタライジングはそれぞれの心に起きることを内省し照合することですが、それはお互いの意識レベルで起きていることの照合にはとどまりません。それだと単なる認知療法になってしまいます。それは必然的に患者のUANを検討することにつながります。それは臨床場面で患者がとったある言動に伴う意図や情動を検討することで、そこで働いているであろう無意識的な連合ネットワークを知ることになるわけです。ただしこれが伝統的な精神分析と異なるのは、UANの背後にある無意識的な動機やそれに関連した過去のトラウマを明らかにすることでそれを説明するという試みでは必ずしもないということです。UANはそこにいわば配線のようにして出来上がっているのであり、それを説明し理解する一つの方法などないのです。
その意味でFonagy 達が強調するのが、not-knowing
という問題が重要であると考えます。そしてこれはBionのマイナスKとも関係しています。2019年にFonagyらが、not-knowable
stance(分かりえないというスタンス) という呼び方に変えたいと言っていたという話もあります。ここで一つ言えるのはメンタライゼーションはこの不可知性ということを強調することでポストモダン的であるということだ。ポストモダンは一つの正解があたかも実在するといういわゆる実証主義 positivism
の立場を取らず、むしろ不可知論であるということです。一見「人の気持ちを分かること」という分かりやすい言葉に置き換えることが出来るメンタライゼーションは、実は人の気持ちがわかるということがいかに多層に及び、幅広い心や脳の機能についての議論を巻き込み、答えを一義的に見出すことが不可能な、その意味でいかに「分かりえない」のかということを、Fonagyたちは伝えようとしているのです。