2022年5月15日日曜日

大学のニュースレターに依頼された文章

【名誉教授から】 
 私は本年3月末日で京都大学教育学研究科の教授の任期を終えたが、やはり8年間過ごした京大との関係がこれで切れてしまうのかと思うととても残念である。しかし幸いなことに退職と同時に京大の名誉教授の称号をいただくことになった。まことにありがたいことである。しかし同時に改めて名誉教授とはどのような立場なのかを考えてもさっぱりわからなかった。そうした折、大学から名誉教授の証というカードを交付された。磁気ストライプがついていて何かを読み取ってくれるようである。ただしこれによりどのような「得点」があるのかについてはよく分からない。このカードで京大の図書館に入館できるのであれば有り難いことではあるが、あいにく東京在住となる身では、京都までそのために出向くということはあまり考えられないのだ。  しかしそれでも私は一生京都大学と縁を持てることになった。京大「所属」とは言えないかも知れない。しかし私は「京大の名誉教授である」と死ぬまで言い続けることが出来る。ただ身が引き締まる思いでもある。私が今後どのような不始末を働いても、京大名誉教授という肩書を持つということは、おそらく京大に多大なご迷惑をかけることになる。「東京都在住の男性、コンビニでのおにぎりの万引きが発覚する」は誰も興味を示さず、ニュースネタにさえならないだろうが、「京大名誉教授、スーパーでおにぎりを万引きする」はネットの記事になってしまうかもしれないからだ。 こんなことを書いていると「京大名誉教授らしからぬ」文章と言われそうなのでこのあたりにしておくが、正直な話、私はこの名誉教授という称号が嬉しいのである。私が過ごした8年間が幻ではないことを示してくれるお守りのようなものなのだ。たとえ京大図書館に入館すること以外の「得点」しか伴っていなくとも、私にとって名誉であり、一生の宝物である。私はカードが発行されてもすぐ失くしてしまう癖があるが、この白に青文字の「名誉教授の証」は決してなくさないだろう。 京都大学の教職員の皆様、そして学生の皆様、長い間有難うございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。