2022年5月13日金曜日

他者性の問題 97 治療論の部分

 私が本章で述べたいのは、交代人格を他者として捉えるという立場は、おそらくDIDの治療の最終ゴールは統合であるという考え方とは齟齬が生じるということである。それは現代的な言い方をするならば、共存という姿勢にとって代わられるべきものである。

そこで臨床家がどの様に交代人格と会うべきかという事について改めて論じたい。まず大事なことは、言うまでもなく個々の交代人格を尊重するようなかかわりを持つという事である。DIDの患者さんとの臨床で、異なる複数の人格と出会うという事は実際に、それも頻繁に起きる。患者さんは通常はAの人格で来院するとしても、時々Bさんとして表れることもあり、また状況によっては途中からさらにCさんに変わることもある。そしてそれは治療者がどの人格に対しても温かく迎えるという姿勢があればあるほど生じる可能性が高くなるのだ。

一つ重要な点は、DIDの患者さんは常に人の気持ちを敏感に感じ続け、時には過剰に警戒したり、こちらに気づかいや忖度をしたりする傾向が強いという事だ。交代人格は自分が出現することで相手を驚かせてしまうのではないか、あるいは自分がその人格として受け入れてくれないのではないかという懸念を持つことが多い。そのことを治療者の側がよくわきまえておく必要があるだろう。

私はDIDの方との面接では、前回の人格さんと同じ方かががあいまいな場合は、出来るだけそれを確かめるようにしている。前回のセッションの時のAさんとは別のBさんとして現われた際に、あたかも同じ人であるという前提のもとに話すことには意味がないであろう。もちろん前回の内容をBさんは内側で聞いていた可能性がある。その様な場合にしばしばBさんは前回の人格Aさんと異なる人格で現れているという事を治療者には明らかにしない傾向にある。しかし来談する人格が常に同じAさんであるという事を治療者が疑わないとしたら、患者さんに治療者に合わせるのを強いることになりかねないのである。

繰り返すがDIDの患者さんたちは通常は、自分が知らない人に話しかけられ、自分が話した覚えのない話題をふられることに慣れている。だから治療場面でもそれが繰り返されることは回避しなくてはならない。多くの患者さんはセッションの初めに自分がどの人格かについて治療者が尋ねることを受け入れてくれる。ただし原則としてそうである、と言わなくてはならない。患者さんによっては今どの人格であるかを尋ねられることに強い苛立ちを覚えるようだ。そのこともその人格の個性として受け入れなくてはならない。