2022年5月5日木曜日

他者性の問題 89 昨日の続き

 さて緒方氏の次の文章に私は色々考えさせられた。(p.540)
「判例の蓄積が少ないため,裁判所がどのような基準で判断しているのか不明であるが,精神医学の領域では,解離現象は連続体として存在しており,それが強度や頻度においてある限界を超えた場合のみ不適当となる(連続体仮説) と解されており,①の事案において「人格の連続性」という表現がなされて いることから,従来の判例は前述の③説の立場に近いと思われる。」
 実は私はこの時点でかなり頭が混乱しているので、整理しつつ書く。まず精神医学では連続体仮説を支持するというようなことが書いてある。えー!そんなことを聞いていないよ。私は精神科医だけれどそんなこと知らないし。緒方氏はその典拠として以下を示す。
中谷真樹(1997) 解離性同一性障害(多重人格)と刑事責任能力. 松下正明他責任編集「臨床精神医学講座22精神医学と法」中山書店、p.219.
 そこに書かれていることが「精神医学の見解」とされてしまっているのだ。沢山ある見解の一つでしかないはずなのに。まるで一人の法学者の論文を引いて「法律の世界ではこうである」と言われたら法律の専門家はどう思うのだろうか。という事でこの論文を読もうにも、あいにく私は読むことが出来ないので(中山書店のこの叢書は高価で、どこかの精神科の医局にでも行かない限り見つけられないだろう)想像するしかないが、おそらく次のようなことが書いてあるのではないか。つまり「解離性障害でも心は一つだから、連続していると考えるべきであり、罪を犯した人は結局は主人格の延長線上に考えるべきである。すなわちDIDはどのような人格状態で行動したとしても常に責任能力はある。」
 つまりはこの章における精神医学的な見解は、DIDの人でも一般人と同じように裁くべし、という事を言っているのであろう。そしてこれはいわゆる個別人格アプローチという事になる。つまり精神医学の見解(=中谷見解=連続体仮説=個別人格アプローチ=特別扱いしない説)、と言ことになる。ところが緒方氏はこの論文の539頁で、自分はグローバルアプローチが妥当だと考えていると明言している。
 さてこの緒方論文は例の平成20年の遺体損壊事件について考察するものであったから、本題に戻り、その部分を読み進める。この判決では1審では「遺体損壊時は別人格だったので、主人格の責任は限定される」という精神鑑定を反映した形で、いわばグローバルアプローチに従って遺体損壊時に関しては心神喪失とした判決がなされたのに対して、2審ではまた個別人格アプローチに戻っていると主張している。そして緒方論文はグローバルアプローチに従った1審判決をもう少し尊重すべき、というニュアンスの主張を行っているのだ。