この平成20年の判例はいわば⓪と表現すべきものだが、これについて少し解説してみる。ちなみにこの件に関しては以下の論文に詳しい。
緒方あゆみ (2011)判例研究「解離性同一性障害と刑事責任能力」:東京高裁平成21年4月28日判決(公刊物未登載)明治学院大学法学研究 90:533-546.
緒方氏の論文によれば「本判決は、学説・判例上あまり論じられてこなかったDIDと刑事責任能力判断について、裁判所が解釈を示した点で意義があり、注目されるべき判例である」としている(p。537)
緒方論文を読んでいると、私にとっての新しい情報が書かれていて、とても参考になる。彼女はDIDに罹患しているものの責任能力判断が争点となった初めての例は、神戸地裁平成16年7月28日判決であるという。−1とするべきだが、この論文ではこれを①としているので踏襲する。
「①神戸地裁平成16年7月28日判決。(Lex/DB 文献番号 25410595)本件は,DID にり患している者の責任能力判断が争点となった初めての裁判例とされている。本件は,以前から DID にり患していた被告人が,元交際相手Aに強姦されたと思い腹をたて,交際中の B および知人 C と共謀し,A に暴行・脅迫を加えて金品等を強取しようと企て実行したという事案につき,神戸地裁は,被告人は,DID にり患しており,別人格が本件実行行為時の被告人の行為を統制していたという鑑定および被告人の主治医の証言を認めた上で, 「人格が交代するごとに別個の個人が存在するわけではなく,一個の個人が存在するにすぎないから,その個人の犯行時の精神状態を検討することによって 責任能力を判断すべきであり,特に,別人格がそれまでの主人格の記憶や感情 を引き継いで行動していて,主人格から別人格の方向には人格の連続性があるような場合にまで,別人格の際に行われた行為の責任能力を別人格であるというだけで否定するのは不当である」 と判示し,被告人には完全責任能力があっ たとして,強盗致傷罪の共謀共同正犯の成立を認め,懲役3年6月の実刑判決 を言い渡したものである(確定)。」
そしてもう一つの例も挙げられている。
「 ②名古屋地裁平成 17 年3月 24 日判決(Lex/DB 文献番号 28105344) 本件は,被告人が母親の首を絞めて殺害し,被告人 A および DID にり患していた被告人 B が共謀の上,被害者の遺体を被害者方の床下に埋め,被害者 の口座から現金を引き出した有印私文書偽造・同行使,詐欺の各事案という事 案である。名古屋地裁は,被告人 B に関しては,犯行時は別人格であったこ とを認定した上で,主人格・別人格いずれにおいても是非善悪の弁識能力・制 御能力があることは疑いがないこと,各犯行は DID が原因となって引き起こ されたものではないとして責任能力を肯定した。しかし,量刑に関しては,被告人Bが当該犯行において従属的立場にあったことや不遇な生育歴に起因するDIDにり患していること等の事情を考慮して執行猶予4年を言い渡した(確定)。」