2022年5月19日木曜日

他者性の問題 102 大分加筆した

 精神分析における大文字の解離理論

van der Hartの分類におけるタイプ2. は「同時に生じる、別個の、あるいはスプリットオフされた精神的な組織、パーソナリティ、ないしは意識の流れの成立」と定義されるものだった。そして過去の精神分析においては、Breuer と初期のFreud により提案された以外には、Ferenczi にその可能性が見いだされるだけであったことは前章でも振り返った。現在の精神分析においては、依然として心が一つであるという前提は不動のものであり、タイプ2.という心のとらえ方は、その理論基盤においては存在しえないのである。

それでは精神分析における新しい解離理論として注目されているStern   Brombergはどうなのだろうか? Stern にとっては解離されたものは未構成の非言語的な意味ということになる。またBrombergにとっては非象徴化の状態ということになる。両者とも抑圧理論とは違う、あるいはそれを遂行、精緻化する上で個の解離の機制が説明されている。しかしいずれにせよその様なことが起きているのは一つの心の内側と言わざるを得ない。つまりvan der Hart の分類ではタイプ1.ということになる。

私は彼らの理論が概念的には多くの問題が指摘されるようになっている抑圧の概念ないしは機制について再考するという試みは極めて重要だと考える。しかし彼らの用いる解離はいずれにせよ「解離性障害」ないしはDIDにおいて問題となる解離とは似て非なるものなのだ。つまりStern Bromberg が解離というタームを用いる ことは、解離という現象が精神分析においても正式に扱われるようになっているという誤解を招きやすいのである。というかその様に思う分析家がいまだに圧倒的に多いのではないだろうか。
 この様な事情を背景に、私はDissociation(大文字の解離)という概念を提示したい。その大枠はvan der Hartのタイプ2.として示されたものである。それなら新しい用語などを作らずに、「van der Hartのタイプ2の解離」とすればいいという意見もあるかもしれない。そのような意見に対する説明は少し後に譲るとして、まず正確を期すために次の点を強調しておきたい。

 ちなみに私は「解離新時代」(岡野、2015)において、Sternにヒントを得た「弱い解離」と「強い解離」の区別を紹介している。Stern は受動的な解離 passive dissociation を弱い意味での解離 dissociation in a weak senseとし、能動的な解離 active dissociation を強い意味での解離 dissociation in a strong sense とした。(Stern, 1997)。前者は私たちが単に心の一部に注意を向けない種類の体験と言える。そして後者は無意識的な動機により私たちがある事柄から目をそらせている状態で、こちらはトラウマに関係する。ただしこの強い、弱い解離という区別と本稿での大文字と小文字の解離という分類は似ているようで、まったく異なるという点をここで明らかにしておきたい。