2022年4月29日金曜日

他者性の問題 83 「部分としての心はあるのか?」についての章の書き出し

 「部分としての心」は存在するのか?

 本書で取り上げている交代人格の人格としての在り方という問題意識は、しかしそれより一段階上のレベルの問題と関連している。それはそもそも心とは部分でありうるか、という問題だ。つまりこれは交代人格に限らない心の在り方を問い、それが基本的に部分ではありえない存在であり、統一体としての要件を備えているはずであることを示したいのである。すなわち心とはすなわち部分ではありえないという事を示すことで、交代人格も当然ながらその例外ではないから、部分ではありえないという論法を取ろうと考えているのである。だから本章の記述は交代人格よりは人格一般、心一般をテーマとしていることを最初にお断りしたい。

さて部分としての心、という事で私が思い出すのは、Shel Silversteinの「僕を探しに The Missing Piece」という絵本である。主人公はいつも何かが欠けていると思いながら旅をする。部分が欠けているためにスムーズに回れずに、ゴツゴツしながら移動する。「自分にはアレが欠けているから幸せになれないんだ。アレさえあれば完璧になれるのに。」と思い続けながら生きていくのだ。そして旅を続けていくうちに、とうとう欠けていた断片に出会う。さっそくそれを取り込んで一体となったのに、なぜかうまくいかない。というよりもあまりに早く転がりすぎてなにも体験できず、かえって人生が空しくなってしまう。そこでそっと断片を取り外して再び欠けたままの旅を始める。