2022年4月27日水曜日

他者性の問題 81 司法精神医学のテーマも汲みつくせない

 DIDにおいて刑事責任能力が問われる状況のプロトタイプ

 さてここからが本題である。日本の裁判においてDIDの当事者の責任能力はどのように考えられ、扱われているのだろうか? 上原氏の解説によれば、DIDの責任能力が問われる判例は増加傾向にあるようだ。わが国でDID を認めたうえで刑事責任を判断したものとしては、現時点(2020)で入手可能な十三件のうち半数以上が、過去五年以内に出されたものであるという(上原、2020)。そしてそこにみられる傾向として、DIDが被告人の刑事責任能力自体に影響を与えるものと判断された例が出てきている。

このような傾向は私は基本的には好ましい方向に向かっていると考える。少なくとも従来はDIDにおいては完全責任能力が認められるという方針で一貫していた。そしてさらにそれ以前は被告がDIDに罹患していたということ自体が認められていなかった可能性がある。しかしDIDの責任能力の問題は極めて複雑で、単純に責任能力の有無を決めることはできない。そこで以下にこの問題について順を追って考察を進めたい。

司法領域においてDIDが提示する問題は端的に言えば次のように表現される。

交代人格の状態において行われた行為について、その交代人格や主人格ないしは基本人格はどれほど責任を負うべきであろうか? 

ちなみにここで言う「基本人格」については、すでに第○○章で説明を加えてある。要するにDIDの当事者の戸籍名がAさんだった場合、それを自認する人格を指す。欧米の文献ではいわゆるoriginal personalityとして記載され、基本人格はその日本語訳である。基本人格という概念が想定しているのは、Aさんと名付けられて生まれ育つ人が一番最初に持っていた「自分は○○である」というアイデンティティの感覚は「自分はAだ」というものだったはずだという理解である。これをわが国では通常は基本人格と訳してきたわけだが、この原語の”original”とは「最初の」という意味である。だからoriginal personalityを正しく訳すと「最初の人格」という事になるだろう。だから基本人格という訳は若干不正確ではないかというのが私の考えである。

司法の場でも、被告や原告となった人の戸籍名がAさんの場合、裁判で証言をするのもAさんであることを前提としている。もし皆がAさんと信じている人が証言の途中で、「実は私は自分がAとは認めていません。私は実はB(あるいはC)です。」と言い出したとしたら、法廷での審議は止まってしまいかねない。ただし解離性障害、特にDIDを有する方が裁判に関わった場合、このような事態は現実のものとなり得るのだ。それはこの基本人格Aさんがしばしば不在だったり、「眠った」状態でいる場合が少なくないからである。それは具体的にはどのような形で生じるのか。